表参道ソフィアクリニック
アンドレア・デル・ヴェロッキオ(英: Andrea del Verrocchio, 本名 Andrea di Michele di Francesco de' Cioni 1435年頃 - 1488年6月30日)
本名をアンドレア・ディ・ミケーレ・ディ・フランチェスコ・チオーニといいます。
『ヴェロッキオ』は「本物の目」という意味があるらしいので、それに由来しているのかもしれないが、はっきりしません。
コジモ、ピエロ、ロレンツォの3代にわたって支援を受けていました。
1470年代
ダヴィデ像
バルジェロ美術館
ヴェロッキオの作品の中では、一般に最もよく知られています。
10代前半か半ばくらいかと思われます。
小ぶりな像です。
笑顔を浮かべています。
美しく若い身体像。やはり右手でポーズをとっています。
手にしている刃物は、ゴリアテの首を切ったばかりのものです。
乳首の周りの装飾には金が少し残っています。
ゆとりのある少年。
衣類は非常に薄く身体が透けて見えています。
体格は華奢なくらいです。細身で、均整が取れた身体です。古典古代の均整のとれた身体の理想像とは異なった身体像です。古典古代のものは筋骨がたくましくなおかつ均整が取れていました。古典古代の身体は、力強さと敏捷性を兼ね備えた身体でした。それはいわば戦士としての身体として優れているということでもあります。単に力強いだけでも敏捷なだけでもなく、その両方を兼ね備えていなければなりません。それに対して、このダヴィデ像は、力強さがなく、敏捷性が優れた身体像となっています。そして何にも増して重要なのは、機知に富んだ知恵のある賢い人であり、力がなくても、危機を乗り越え目標を達することができるのです。ゴリアテは力があっても、敏捷性は少し劣り、知能においては一段劣ることが考えられます。ですからゴリアテとダビデは対照的です。
ゴリアテ;力>敏捷性>知力
ダビデ: 力<敏捷性<知力
ダビデは知恵の人であるとされています。ですから筋骨たくましくなくてもよいのです。
そしてまたフィレンツェは軍事力が弱く(というか自国軍を持たなかった)、外交が得意であり、世渡り上手であり、そしてまた知性において優れていて、こういったフィレンツェの特性が背景にあるものと考えます。ミケランジェロのダビデはフィレンツェの存亡の危機をめぐって制作されたものでもあり、ダビデとフィレンツェは重ね合わされていますが、このヴェロッキオの場合もそうであると考えられます。
またメディチ家との関係はどうなのでしょうか。ロレンツォは容貌は美しくなかったようですが1469年にメディチ家の当主を引き継いでいます。彼は知力に優れ外交手腕に長けていてフィレンツェの安定期を形成し、フィレンツェのステータスを大きく高めました。
少年愛の世界を描いてもいるのかもしれません。一説によればレオナルドがモデルであるともされていますが、もし、こういったこととも関係しているとすれば興味あるところです。というのも、レオナルド自身はのちに少年愛の愛好をもっていたのは確からしく、フロイトはそれについて自己愛の観点から考察をしています。