表参道ソフィアクリニック
フェルメールの生涯
・フェルメールは、生涯の大半をデルフトで過ごしました。デルフトはオランダの都市の中の「真珠」とも呼ばれていたとのこと。デルフトはオランダ総督に家系であるオラニエ家のゆかりの地であった。ウィレム沈黙公の大きな墓所もある。オラニエ家の流れを引く現在のオランダ王家も、ここに墓所がある。
1568年から1648年にかけて(1609年から1621年までの12年間の休戦を挟む)行われた、オランダの独立戦争。フェルメールが思春期の頃つまり16歳頃に戦争が終結した。
1556年、カール5世は息子のフェリペ2世にスペイン王位を譲位した。 1559年王は、 マルゲリータ・ダウストリア (パルマ公妃)をネーデルラント17州の総督に任命した。しかし、反抗が激化したために、1567年にアルバ公に交代した。総督アルバ公は、恐怖政治を敷いて、「血の審判所」と呼ばれた機関を設け、エフモント伯ラモラールを含む多くの新教徒を処刑した。
1568年北ネーデルランドに反乱が生じ、北ネーデルランドの諸州をまとめて指揮を執って数々の戦闘を遂行したのが、オラニエ公ウィレム1世 (ウィレム沈黙公)であった。彼は城壁に取り囲まれた要塞都市デルフトを拠点とした。1584年彼はスペインの放った刺客の手にかかり死去した。彼はオランダ建国の父と呼ばれ、その家系はオラニエ=ナッサウ家と呼ばれ、現在のオランダ王家に至る。彼の息子マウリッツはハーグなどに拠点を移し、彼も軍事的な能力に優れており対スペイン戦争を継承し、スペインの無敵艦隊を破り、ついに北部7州は、1581年にスペイン国王フェリペ2世の統治権を否認し、独立を宣言して(実際にはは正式の独立宣言はだしていない)、実質的な独立を勝ち取った(これをもって独立したとする見方がある)。以後、オラニエ家がオランダの総督に就任するようになった。1598年フェリペ2世が死去。この80年戦争の正式の終結は、30年戦争の終結条約である1648年のヴェストファーレン条約による。この条約は、ラテン語読みでウェストファリア条約とも呼ばれる。(また「ミュンスターの講和」、ミュンスター条約およびオスナブリュック条約)とも 。)これによってようやく80年戦争は終焉を見てオランダ共和国は正式に承認された。この条約は近代における国際法発展の端緒となり、近代国際法の元祖ともいうべき条約である。
80年戦争:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%8D%81%E5%B9%B4%E6%88%A6%E4%BA%89
マルゲリータ・ダウストリア
オラニエ公ウィレム1世 (ウィレム沈黙公)
アントニス・モル 1520年 - 1578年 作
オラニエ公ウィレム1世
上野の森美術館
2018−19年
かなりのまとまった数のフェルメールの作品が展示されていました。その意味で稀に見るとても大きな展覧会でした。
美しいブルーとタピの赤色が補色によって対比となっています(よく見るとタピ自体も赤と青の補色の対比になっています)。全体には落ち着いた配色です。
美しく着付けていますが、とても日常的な何気無い一瞬です。穏やかな日常の一コマ、何気ないところに、生きていることに、当時の文明社会に生きて行くことに、穏やかな幸せが感じられます。
こう言った日常生活の中にこそ、人間の真実の一端が垣間見られます。
ただ、あまり細かく描きこまれていません。(メトロポリタン美術館2018年)
『ディアナとニンフたち』1653-1654年
『マリアとマルタの家のキリスト』
スコットランド国立美術館(エディンバラ)
フェルメール作品で最も大きな作品です。
マルタは給仕に忙しいのですが、妹のマリアはキリストの話に聞き入っていて、マルタを手伝っていません。キリストはマリアを指さしながら、顔をマルタに向けて「マリアは良いほうを選んだ」と話しました。
イエスはふつうの人のように描かれていますが、ほんの僅かに後光が差していて、いかにイエスが賢かったか、知恵があったかがうかがわれるようでもあります。
なかなかいい作品です。
フェルメールが聖書に題材を求めた唯一の作品です。
フェルメール展 上野の森美術館にて 2018年
『取り持ち女』
アルテ・マイスター絵画館(ドレスデン)
フェルメールにしてはサイズがかなり大きく、『マリアとマルタの家のキリスト』より少し、一回り小さいくらいです。フェルメールの比較的早い時期の作品であり、彼が主要画題を歴史画から風俗画へと転じるようになった作品です。何度も大幅な修正を加えて、試行錯誤の末に完成したらしいです。
チマチマ描かず、ダイナミックで思い切りよく描いているように見えます。タピ、壺がことさらきれいです。
総じてかなり説得力のある作品です。
フェルメール展 上野の森美術館にて 2018年
『紳士とワインを飲む女』1658年頃。絵画館(ベルリン)
一見して、ステンドグラスの描写が優れているように見えて、それ以外はさほど取り立てて関心を引かないかも知れません。
この男は上流の紳士であり、無垢な女性を誘惑して、ワインを飲ませています。グラスのワインはほとんど飲み干されていて、男は次の一杯を注ぎ込もうと酒瓶を手に待ち構えています。
無垢な女性を誘惑するというテーマは17世紀後半に流行したテーマらしいです。
リュートと楽譜は愛 を表し、ステンドグラスの馬の手綱を持つ女性像は中庸、節度を保つことを戒める寓意であろうと考えられています。
かなり露骨な場面ですが、画面には官能性や躍動性がなくて、静寂に包まれています。
フェルメール展 上野の森美術館にて 2018年
『牛乳を注ぐ女』1658年-60年頃。 アムステルダム国立美術館。
小さな作品であり、フェルメールらしさが全開であり、一気に飛躍的に展開した作品です。
質素な部屋で、メイドが真剣な目差しと表情で、牛乳を注いでいます。新鮮で、初々しく、静寂です。硬いパンで、パン粥を作る日常の一コマを描いています。
ミルクのしっとり感と粘度、パンの質感がよく表現されています。
フェルメールの新しい境地を示す新鮮な作品です。
フェルメール展 上野の森美術館にて 2018年
『ワイングラスを持つ娘』(1659年 - 1660年頃)
『フェルメール展』では、次の3つの作品が並べれていて、それらは連作のようになっているのかも知れません。
静かで何気ない日常の光景に、一人の女性が描かれていますがすが、愛する男の影があります。つまり楽器、真珠の首飾り、手紙などです。
光の効果が美しさを引き立てています。
明暗のメリハリがよく効いています。とても丁寧に描きこまれています。生き生きとした女性の眼差しです。外の何を見ているのでしょうか?木にとまっている小鳥を観ているのでしょうか? 小鳥は自由の象徴でもあり、リュートは恋の歌でしょうか。今は調弦をしています。
もう一つの解釈ですと、床の上に置かれた楽器ヴィオラ・ダ・ガンバと楽譜はもう一人の奏者の存在を暗示します。富裕なオランダ人は教育の一環として音楽を学んでいましたが、プライベートな合奏は戯れの恋のチャンスになっていましたらしいです。窓の外に向ける視線の先には、彼女と演奏するはずの、あるいは演奏を終えた男性がいるのかも知れません。
背景の地図は、当時のオランダの室内装飾を反映していて、航海に優れた国家の誇りを表しているようです。
フェルメール展 上野の森美術館にて 2018年
真珠の首飾りの女
女性が、うっとりとした表情で、壁に掛かった小さな鏡をみながら、真珠の首飾り(のリボン)を結んで身につけようとしています。テーブルの上には盥(たらい)や白粉(おしろい)のパフが置かれているようです。この真珠の首飾りは、男性にもらったのではないかと想像されます。
手紙を書く女
壁に掛かっている絵画には、ヴァイオリンが描かれています。それは恋愛を暗示しているようです。この女性が書いているのはおそらく恋文でしょう。恋する男性に思いを綴っている途中です。画家、あるいは絵を見る人に顔を向け少し微笑んでいます。調和と静けさがある作品です。
1665年
真珠の首飾りの少女
真珠の首飾りの少女
2003年作品 ピーター・ウェーバー監督
スカーレット・ヨハンソン主演
「真珠の首飾りの少女」が出来るまでの物語です。フェルメールの物語であるが故に、絵画的な映像づくりが印象的でした。
繁栄していたオランダですが、冷たく厳しい世界です。とても暗いフェルメールの人物像。この家で女中として働くグリートの哀しみ。そのようななかで、フェルメールが描いた明るい目差しをした彼女の姿は感動的です。
1665年/1666年ごろ 絵画芸術 The art of painting.
<ウィーン美術史美術館にて>
これはフェルメールの最高の作品の一つです。フェルメールの作品のなかでは最大のサイズです。
画家は絵を描き始めています。絵を描き始める時には、きっと、期待、緊張、不安、試行錯誤、思案などがない交ぜになっていることでしょう。絵を描くことは、自分を託すことです。
ルネサンス以前には自画像を描くことはあまりありませんでした。絵画を制作していたのは画家というよりも職人だったからです。ルネサンス以降から肖像画を描くことは当然よくあることでした。「画家」としての自我が誕生したからです。しかし、フェルメールのこの作品は、画家は後ろ姿で顔が見えません。描かれているのは画家がアトリエで仕事をしている場面です。絵画制作が大変盛んであった当時のオランダの風俗を描いた一場面でもあります。フェルメールもその一人です。画家がアトリエで描く、という場面を描くこと自体が画期的です。しかも、これはフェルメールであるとともに、不特定の多くの画家でもあり得ます。このようなシーンが描かれることはルネサンス期にはほぼなかったことです。背景はオランダの地図です。これはオランダの絵画芸術及び画家たち全体の栄誉を表しているのでしょう。オランダでは画家はかくのごときに芸術作品を製作する、と。しかし、見方を少し変えてみましょう。つまり、このように自分を含めた画家たちの後ろ姿を描くことができたのは、オランダでは絵画市場があって、絵画が初めから商品として売りに出されることが目指されるようにもなっていたからでしょう。彼ら画家たちは絵画という商品を制作する人として、同質です。
一番手前には椅子が置かれています。何気なく置かれているだけで、ほとんど何も意味していないという意味で空席です。しかし考えようによっては、これから色々な意味が付与されることもあるでしょう。あるいは多くの人たちがここに座る可能性があります。それは画家としてこの席に座るかもしれないということです。
他のフェルメールの諸作品と同様に左側から光が差し込んでいます。
点描技法のようなものも用いられていてて、特にカーテンがそうなっています。
石膏のマスクが机に置かれていますが、これには何か意味があるのでしょうか。
モデルの女性は月桂樹の冠、ラッパ、本、青い服を身につけています。しかしなぜモデルは目を閉じているのでしょうか。
1668年
2014年春 ルーブル美術館展にて
この絵画をいったいどのように評したらいいのか、なかなか難しいです。あまり言葉で表現するようなものではないかもしれません。それとも、言葉によってなにか解明できるようなものが絵画に込められているのでしょうか。北方絵画はいろいろな象徴を込めるものですが、この作品はどうなのでしょうか、フェルメールの他の作品はどうなのでしょうか。
この作品と双子の兄弟のような作品がありますが、それは『地理学者』です。そちらの方は、言葉によって解明することがかなりできるような気がするのです。しかし、この『天文学者』のほうは、解明していくというやり方がより難しいような気がします。他のフェルメールの作品もおおむね感覚的なものが多いように思います。『地理学者』がむしろ特異なのかもしれません。
もしかして、この二つの作品を組み合わせるという解釈をするのが良いのでしょうか。
さて、この絵では、机の上には、天球儀がおかれています。ここでは天体が、ギリシア神話の星座によって描かれています。なぜこの期に及んでまだ神話を天体に重ね合わされなければいけないのでしょうか。そういえば『地理学者』でも似たようなところがありました。つまり『地理学者』では、科学的な観点がキリスト教的な観点と重なっていました。『天文学者』でもギリシア神話に加えてキリスト教も重なっています。ギリシア神話は古代では宗教でしたが、その後は宗教ではなくなって、神話として、物語として引き継がれ存続しています。とくに近代は古代ギリシアの文明を再発見することでルネサンスが興ったことと密接に関連しています。精神が解放され、科学的思考がうまれました。キリスト教とギリシア神話は、二つの異なる物語です。キリスト教は一神教ですが、実際には神に近い人々聖人たちも多くいます。ですからある程度多神教的です。他方、ギリシア神話は多神教と言われますが、ゼウスという神が神々の頂点に立ちます。ですからギリシア神話はある程度一神教的です。一神教は、統一理論的な科学の思考法と親和性があります。理論によって物事を考えるやり方です。近代の大陸合理主義のデカルトの神は幾何学的神でしたが、それは後世のニュートンに、そしてアインシュタインにもつながるような宇宙の統一理論についての思考法でした。しかしそれだけで十分なわけではありません。それだけならば単なる教義(ドグマ)に終わってしまいます。それに対して、個別的に物事を見ていくことが不可欠であり、それはイギリス経験論とも言われてました。これは一神教的と言うよりも多神教的です。一神教と多神教は、合理論と経験論という二つの思考方法へとつながっていったわけです。そしてこの双方を組み合わさることが重要なのです。キリスト教にギリシア神話が結合したことは、芸術だけではなく科学にも重要な役割を果たしました。フェルメールのこの作品『天文学者』では、双方が混じり合っているようです。双方が未分化な形で混じり合っているのを、この天文学者は趣深く眺めているのではないでしょうか。それはキリスト教とギリシア神話とが混じった科学でありながらも、今後発展して行くであろう科学を予見的に眺めているのではないでしょうか。
天文学者の眼差しは、一神教的な神のような眼差しであるとともに、個別的に経験的に見つめる多神教的な眼差しでもあります。
そして、その手は、眺めるだけでなく、能動的にアプローチする意思も持っていると思われます。この宇宙に触れようとしているかのようです。
宇宙は神秘に満ちています。合理論と経験論が組み合わさった思考によって宇宙の神秘が次第に開拓されていきました。それでも神秘は残って、謎は謎を呼び、激しく驚異の念を抱かせるのです。古代の人々は宇宙に神話の物語を描き混みました、そして、科学が発生してからは、そこには神話がなくなります。もちろん宗教も別次元になります。このフェルメールが描いたのは、天空から神話や宗教が消えていく移行期でした。天球儀には個別的にはギリシアの神々が描かれ、そして天球を統括している大統一理論は十字架として描かれているようです。
また家具の影が壁に投影されていますが、これは『地理学者』と同様に家houseのようにもなっています。
この作品は全体にはくすんだような色合いで、鮮やかな色はありません。地味です。
【2017年1月ルーブル美術館にて】
全体に暗いトーンです。まだギリシア神話と科学の混合がみられます。それに加えてキリスト教です。もっともこの天文学者の目は科学者の目なのでしょう。幾何学的数学的観点から考えているのでしょう。彼は純粋科学の方向を目指す大きな流れの中にいると思われます。しかしそれでもキリスト教は並存しています。あるいは科学とキリスト教は並存し得ます。
頭部はスフマートのような表現になっています。
1670年〜72年
信仰の寓意
晩年の作品です。一見してパッとしない印象の絵です。
フェルメールはおそらく1653年の結婚を機にカトリックに改宗したようです。それから20年以上になりますが、カトリックの信仰を持ちつつ、あるいはより一層の正統的なカトリック教徒になっていたことがこの作品からうかがわれます。あるいは自分の死期が遠くないという思いからカトリックへの帰依を強めていたのかも知れません。
オランダではプロテスタントが公認の宗教であり、カトリックの教会はなくて、公の場での礼拝も許されていませんでした。ただしカトリックを信仰すること自体が禁じられていたわけではありませんでした。カトリックの信者は、自分の心の中での信仰が許されて、また家庭の中で礼拝の設備を整えて祈ることを許されていたようです。また、集団でのミサや、集会もある程度は容認されていたようです。これは「隠れ教会」と呼ばれていました。
この作品には様々なアイテムを配置することで、カトリックの信仰を表しています。
そもそも北方絵画では、いろいろなアレゴリーを作品のなかに込めるのが一般的ですが、フェルメールの他の作品にもそのような傾向があります。ただこのように多くのアレゴリーを描き込むのはフェルメールの諸作品の中でも例外的です。
胸に手を当てる仕草は、カトリックへの信仰心を表しています。そして脚で地球儀を踏む仕草は、カトリックによる世界の支配を表しています。こういったことから、プロテスタントではなくカトリックを真のキリスト教として位置付けていたものと考えられます。
また、十字架、杯、ミサ典書が載ったテーブルはカトリックの聖餐式を暗示し、床には原罪を表すリンゴと、キリストの隠喩である教会の「隅の親石」に罪を唆した蛇が押しつぶされて血を吐いています。プロテスタントでは、偶像崇拝が禁じられていましたが、十字架にはキリストの磔刑像、背景にはキリストの磔刑図が描かれています。
メトロポリタン美術館展 国立新美術館 2022年2月~