表参道ソフィアクリニック
上の写真では、女性とのトラブルで、失った指(左手中指)を写しています。このことも彼の波瀾万丈なところを表しています。
Edvard Munch
ノルウェーの画家
父親は医師。
1868年母親死去。
1877年姉死去。
1889年父親死去。
1908年、精神衰弱およびアルコール依存症にて入院。ムンクはアルコール依存症で、幻覚、妄想も現れるようになっていました。
80歳で、天寿を全うしました。
ダニエル・ヤコブソン 1908年−1909年
入院した先の主治医です。ほぼ等身大で描かれています。堂々たる姿勢 。彼はカリスマ性があり、また患者に親切でもあり、人気があったと言います。
足は馬の蹄(ひずめ)が描き加えられており、これは聖書では悪い意味があるようです。
自画像 1895年
左腕が骸骨になっています。死が身近であったのでしょう。
死と春 death and spring 1893年
これは遺骸のみの描写です。
臨終の床 1896年
死せる母とその子 1901年
エドヴァルドは5歳で母親を亡くしました。母親の死にエドヴァルドとともに姉も大きなショックを受けたでしょう。その上、ムンクが14歳頃に今度はその姉(15歳)を亡くしました。姉の死は母の死を強く再想起させたことでしょう。ちなみに母親も姉も結核で亡くしました。
この少女は母親を失って、絶望しています。両耳を手で塞いでいます。この少女は姉であり、またエドヴァルド・ムンク自身でもあります。これは後年の作品『叫び』を想起させます。「現実」が自我のなかに過剰に入ってくるのを止めようとしています。
死せる母とその子 1901年
ドライポイント
これは、より明瞭に、子供の絶望、あるいは絶望を超えるほどの何かをより明瞭に表しているように思われます。
ここでは耳を塞いでいません。
参考
1899年作品
ここにも「叫び」のモチーフが現れています。
母親の死と絶望そして叫びは関連しているようです。むしろ母親の死は、絶望を通り越して一気に叫びにまで至っていると思われます。絶対的孤独としての叫びは、母親の死という原光景とも重なっています。
メランコリー 1891年
このメランコリーシリーズは、友人の恋煩いに着想を得たものです。恋人の心と融合できないことの苦しみです。
参考
メランコリー 1892年
メランコリー 1894年ー1896年
絵全体が、まさにメランコリーを表しているようです。恋人と心が融合できず、分離と疎隔が特徴のようです。また背景には、カップルが描かれて、嫉妬の対象になっているようです。
渚の青年たち(リンデ・フリーズ) 1904年
これもまたメランコリーです。しかし、これは子供部屋に飾る絵として制作を依頼された作品です。全景の若者の顔は骸骨ようです。光景の若者たちには顔がありません。
絶望 1904年
下の作品は、1893年の「叫び」の作品から10年以上経ってから制作されたものです。これは上の1891年の「メランコリー」のモチーフと1893年の「叫び」のモチーフを組み合わせたものです。この組み合わせから「メランコリー」と「叫び」は異なるモチーフではなくて一連のものであろうと推察されます。おそらく表題の「絶望」とは「メランコリー」と「叫び」の間くらいにあるのかもしれません。「叫び」は「絶望」を超えた崩壊現象を含むものだと思われます。
1892年およそ30歳前くらいに「叫び」のモチーフが現れます。それ以降ムンクは合計4つの「叫び」のヴァージョンを制作しました(版画は別)。
ムンクはこの叫びを自らの体験に基づくものとして説明しています。「僕は、2人の友人と散歩していた。日が沈んだ。突然空が血のように赤く染まり、僕は憂鬱な気配に襲われた。立ち止まり、欄干に寄りかかった。青黒いフィヨルドと市街の上空に、血のような、炎を吐く舌のような空が広がっていた。僕は一人不安に震えながら立ちすくんでいた。自然を貫く、ひどく大きな、終わりのない叫びを、僕はその時感じたのだ。」
この「叫び」は、幻聴だったか否かは定かではありませんが、幻聴と同じように、外界の「現実」が自我の中に入ってきて、自我を脅かすものです。幻聴とは、否を言わせず、自我と外界の境界を越えて、入ってきます。耳あるいは聴覚という空いた穴を塞いで、この事態を止めようとするのですが、止まりません。聴覚は視覚とは比べものにならないほど、侵襲的です。目は閉じれば遮断できますが、耳はそうは行きません。叫びは、自分の叫びが、現実として実体化、物体化して、反転して、内部に入ってきます。
叫び 1893年
パステル
叫び 1893年 油彩
叫び 1895年
パステル
このパステル画は、2012年に96億円で取引されました。
不安 Angst 1896年
叫び 1910年 テンペラ
今回の展覧会で展示されていた「叫び」シリーズのなかでは、これが主要な作品です。
不安と恐怖と自我の危機的状態が表されています。背景の男たちは突如として攻撃性を帯びています。
この中央の男が叫んでいるとともに、叫びはむしろ外部からこの髑髏のような男の内部へと侵入してきいます。手で耳を塞いでも外部からと内部から発する叫びを止めることはできません。この叫びは侵襲的であり、自我は融解して、解体しています。現実感もまた融解して解体しています。
これは絶望ではなくカタストロフ(破局的事態)です。
地獄の自画像 1903年
恐怖、苦悩、焦燥が表れ、死の影が漂っています。画家はこれを「地獄」と名付けているのですから、大変な苦悩であることが推察されます。あるいは、もはや苦悩さえ感じないのに、自分の状況は地獄であるということであり、この地獄は苦悩を越えているようです。ここでは「叫び」という現象は現れていませんが、「叫び」が絶望を越えた現象であるのと対応して、地獄は苦悩を超えているのでしょう。
影が物体と化しています。
これには多くのヴェージョンがあります。
「絶望」と「口づけ」と自我の融解が組み合わさって行きます。自我が融合すると、はじめは良くても、境目がなく、それはおぞましいくらいの事態になっています。
恋人の心と融合できないことに苦しみ、しかし、融合すると吸い尽くされて自我を失ってしまう脅威となります。このように相反する心理の動きがあります。恋人との融合に向けての能動的なアプローチは、いつしか、反転して受動的になり、吸い尽くされ、女は吸血鬼と化して逃れがたく大きな脅威となります。
1892年 接吻
早くから口づけのモチーフがあったようです。
1894年 接吻
1897年
接吻
1897年
1897−98年
男性はほとんど描かれていませんが、それでもこれは男性が主人公です。男性は吸い取られています。
またここには『マドンナ』の中でも描かれていた精子と胎児のモチーフが描かれています。
男と女の性的な関係から、胎児ができるのですが、それは、何か悲しく矛盾を孕むものとなっています。
吸血鬼2 1895年
吸血鬼 1895年
吸血鬼1896年
愛と痛み 1895年
森の中の吸血鬼 1916−18年
吸血鬼 1917年
星空の下で 1900−1905年
まるで幽霊のようです。また魂が人魂となって浮遊しているような星々です。女あるいは母親にすがっているかのようです。のちの吸血鬼のような女の接吻にも繋がるようです。この男は死を象徴するものと融合しています。絶望から接吻へ、そして吸血への道筋です。
「絶望」と「吸血」と「自我の融解」が組み合わさって行きます。
すすり泣く裸婦 Weeping Nude 1911年
タイトルは「すすり泣く裸婦」ですが、しかし、すすり泣く吸血鬼でしょう。
自我の融合に対して、対照的なのが嫉妬です。これも大きなテーマであると思われます。
これは吸血鬼の系列とにもあるようです。吸血鬼の場合と同じようなポーズをとっていますが、女から背を向けていて、絶望感を表しています。カタストロフでもありません。地団駄踏んで悔しがる、という類のもので、少しコメディータッチです。自我の融合に対して、分離を表しています。そしてこの「地団駄踏んで悔しがる」という要素こそが、嫉妬の重要な鍵でもあり、そして女の享楽を高める鍵ともなるのです。この意味で、女は嫉妬という生き血を吸って、享楽を高める存在でもあるのです。これは「寝取られ亭主の系列」(フランス語のcocu)でもあります。古くから文学で、<浮気をしないような妻はいない>、というテーゼが掲げられてきた所以です(妻とは本当にそうであるのかどうか真偽は別としても)。
この女には性的魅力があり、奔放です。衣服のボタンは外されています。カールして乱れて長い髪の毛はマグダラのマリアとも重ねられているかもしれません。この性的存在である女の享楽は、他の男にも開かれているのです。それは1対1の融合に対しての著しく解決不能な事態なのです。
それにしても融合に際しては、女は吸血鬼として生き血を吸、自我を失わせ、取られるのです。
これはムンクの友人である作家を描いたもの。奔放な妻に起因する嫉妬を描いています。家が血染めになっています。ひとまず吸血鬼の流れにもあるようにも思われます。
嫉妬 jelousy 1907年
嫉妬 jelousy 1913年
これにもいくつかのヴァージョンがあります。ここでもムンクは同じテーマを何度も繰り返します。
これも嫉妬(分離)の系列にも入ると考えられます。
上の二つの作品はほとんど同じです(少し違っていますが)。下の方がよりしっかりと描かれています。
男を虜にする女性の性的な魅力です。ここにはまだ見ぬ男は描かれていませんが、背景には何らかの精のように男性的なものが存在しているようにも見えます。
これは嫉妬の感情を表現した系列であるとも考えられるのです。この女性は嫉妬の感情を催させ、それがまた女の魅力をさらに高めるのです。さらに嫉妬とは当の女だけでなく、相手の男の価値をも高めてしまうものです。そして女の享楽もより一層高められるのです。
マドンナとは聖マリアのことです。この作品は女としての享楽を中心に据えた「女なるもの」の永遠のイマージュとなっています。
見ようによっては、女の背後にあるモヤモヤとしたものは、雲のような形なき神なのかもしれません。つまり具象化や対象化されていない神です。神とマドンナ(つまり聖母マリア)は精神的な性行して、その崇高な恍惚の中で、女は両腕を背後の神に向けているのでしょう。つまりこれは実際の性行をせずに、精神的な性行をして神の子を宿す、まさにマリアの受胎の場面であると思われます。この腕のポーズはオーソドックスですが、以上のような意味も含んでいるように思われます。
1895年
参考:
ユピテルとイオ
1532年 - 1533年
ウィーン美術史美術館
神々の長であるジュピターが雲に姿を変えて、イオと情事に及びます。イオは大変貞節な女性でしたが、かつて一度はジュピターの誘惑を拒んだのですが、今回は雲に化けていたので、彼女は誘惑に屈してしまったのでした。ここでもイオは雲を手で抱いています。
1895−1902年
こちらの周囲を枠状に描かれたヴァージョンの方が有名です。年代から考えて、元のオリジナルに追加して周囲を描かれたものです。そもそもマドンナとは聖母マリアのことです。それもあってこの作品をキリスト教的なテーマ特に受胎告知に結びつけて考える批評もあるようです。良さそうな着目です。
それに加えて、この胎児は、疑り深そうな目で母親を見ています。母親の恍惚の状態にあって、子供は置いてきぼりで、母親はひたすら男と恍惚感に浸るのみです。こちらの方がよほど大きいようです。これは嫉妬であり、大人の嫉妬は、幼児期あるいは胎児期にも帰するような根源的な嫉妬です。胎児がありながらも、そんなことは御構い無しで、精子は女としての体と心を行き交っています。このように、聖マリアの受胎の場面に加えて違う意味を付加しているようです。
1899-1900
若い男女が向き合っています。表情は死相が漂っています。
お互い目を見ているようでもありません。
背景にはエデンの園の樹木のようにも見えて、この二人は人類最初の夫婦のアダムとイブと重ねられているのかもしれませんが、もっともこの樹木にはリンゴが実ってはいません。
背景の家は家庭を象徴しているのでしょうか。そして二人は結婚して家庭を持つのでしょうか。
女の髪がおとこに絡みついています。
ムンクは、幾人かの女性と付き合いましたが、ムンクは芸術家として創作活動を維持するためには未婚でいるべきだと考えて、独身を貫いていたのでした。結婚しない理由として本当にそう思っていたのか、あるいはほかの理由があって、口実にしていたのか、よくわかりません。
『新陳代謝(メタボリズム)』1899年
あきらかにアダムとイブがテーマですが、やはりここでもリンゴは実っていません。上段は文明、下段は死する運命が描かれています。
別離の時に何かが立ち現れて胸を痛めます。
男女関係における女性を描くのではなくて、早い時期から、女性を単体で描いていました。その際にはだいぶん様相が異なります。
1885年ー86年
赤と白 1899-1900
白い服は純潔を表し、赤い服は成熟を表しています。
ムンク自身が女性と融合したり同一化したり投影したりする場合はあるのですが、その際には絵の主人公は男性です。それに対して、女性が主人公となっている場合もあります。ムンクには妹がいたこともそれに関係している様に思われます。
しかし男女関係においては、男の側の立場で描かれています。それが女性の立場で描かれるという心境の変化があったと思われます。
この絵では、男女関係において、女が主人公であり、男は脇役になっています。ムンクの心境にも変化があったのでしょうか。
ムンクは、ある女性と交際していて、1902年にトラブルになり、女が自殺目的で持ち出した銃が暴発して、ムンクの指に命中して負傷しました。この体験がもととなって、この絵が制作されました。
『アモルとプシュケー』1907年
この女性は、吸血鬼の様な女ではなくて、女性の存在をテーマにしています。
白い服の女は清らかさ、黒いドレスの女は拒絶された愛を表していると言われています。その間に、男と女の愛の諸相が描かれています。
これは女性の立場から描かれていると見ることもできます。これまでは男の立場から見た女でした。
この作品は総じて見れば葛藤は和らいでいると思われます。
ちなみに、月と月の光の柱は、女性の身体的な特性を表し、ムンクの中で繰り返し表れるアイテムです。
ムンクはそれまで影が深くまた弱々しい男性を描いていたのですが、ここでは力強い男たちを描いています。
1907年、ヴァーネミュンデの海岸で『水浴する男たち』を描くムンク(43歳)。
太陽 1910−13
太陽が明るく輝いています。
これは自然の輝きでもあり、元々のムンクにはないことです。この輝きすぎるところが極端ではありますが、この作品も心境の変化を表している様にも思われるのです。
この作品を見ると、なぜかしらニーチェのツァラトストラが思い浮かんだりもするのですが、それにはあまり根拠がないものの、それでもやはり無関係とは考えたくありません。自然宗教的で、いわゆる太陽神の様な側面があります。ただそれだけではこの絵の理解にはしっくりこません。それに加えてもう一つの観点は、女性の輝きという観点です。少し大げさなくらいの輝きの表現ですが、それまでのムンクの苦悶をはらんだ男女関係からすれば、本来の女性の輝きに気がついたという点で、これくらい輝いても良いでしょう。
また男性的な力強さにも繋がっています。
他方では、病的なくらいであるとも感じられます。精神病的でもあるし、また躁的でもあり。しかし、絵画としては緩んでもいる様に思われます。
他にも、この作品には多層的な側面があるでしょう。