表参道ソフィアクリニック
1893年生−1983年没
カタルーニャ地方にて生まれ育つ。
2018−2019年
ミロの画業を見渡します。
とくに、スペイン内戦、第二次大戦、戦後の冷戦と原子爆弾の脅威から受けた影響がわかりやすい構成にもなっていました。
Grand palais 2018年
ミロがミロになるまでのプロセスの時期の画業です。
前衛の画家によくありがちなことですが、ミロの場合も、当初は本当の前衛ではなくて、ほかのいくつかのタイプの前衛の画家の模倣から始まります。
・フォービズム
・キュビズム
・表現主義
・シュールレアリズム
若い頃には、とくにフォービズムの影響を受けていました。アカデミズムの意味では、彼は優れた絵を描くことは不可能であったと思われます。デッサンは落第点しか取れなかったでしょう。彼のリアリズムの描写には決定的に難点があります。当時、フォービズムがスペインに紹介されていたので、ミロはフォービズムなどの新しい流れでしか、才能を見いだされることがありませんでした。多くの大人たちは、ミロがフォーブ風の絵を描くことを快く思いませんでしたが、一部の人だけが彼の才能を見抜いて、成長を促したのでした。
La Ferm 農場 1921-1922
故郷への愛情が感じられ、詩情もあります。
「細密主義」の頃の代表作の一つです。
アンリ・ルソーみたいなところもあります。形体把握に関しては、自ら打ち明けているのですが、とても不器用なところがあるらしく、それがこの絵にも現れていますように思われます。細密主義と言っても、ミロの基準からして細密なのであって、西洋絵画の伝統からすれば細密からはほど遠く、細密画ではありません。かなり大きくデフォルメしながらも、細かいアイテムをきっちりと明瞭に描いているのを細密主義と名付けているだけです。これがミロらしい画風の形成の一歩です。ミロのこういった特性に関連して、私としては「不器用な几帳面さ」と名付けたいです。デフォルメされていますが、それはピカソのように意図的ではなくて、ミロはデフォルメされた形体しか描けないので、それを逆手にとってアーティスティックでハイセンスな感覚に組み込んでいるのです。前衛芸術家としてはそのようないわば発達障害のような人たちがいるのです。これはアンリ・ルソーにも似たところがあります。そもそも遡れば、キュビズムの先駆者あるいは源泉の一つと見なされるセザンヌがそんな不器用なところがあったのでした。ミロの場合には、ピカソやブラックのキュビズムにあまり賛同していませんでしたし、たとえ賛同していたとしても、ピカソやブラックの極めて器用で巧みなキュビズムの表現には全く太刀打ちできなかったでしょう。
Autoportrait 1919
デフォルメされた顔の形やヒダの形の作り方、これはキュビズム風です。ピカソやブラックのキュビズムの最盛期の1910年代の諸作品の驚くべきラジカルさと比べれば、「ちょっとだけキュビズム」です。自分の形体把握の特質とキュビズムを組み合わせて表現しています。当時キュビズムの追従者はいっぱいいましたが、彼は、追従者になるという道を選ばなかったのは正しかったです。既存の型にはまるように四苦八苦して頑張っているようでは、ミロは後のミロが生まれなかったでしょう。
この表情は、どことなく神経質で、ミロは穏やかな人ですが、イライラしやすい面もあったようです。この顔はある種、機械化されたような、硬く固まったような、そしてなにか「不器用な几帳面さ」も相まって、一種の狂気じみた目と顔の作り方になっています。
Le carnaval d'arlequin アルルカンのカーニバル 1924 - 25
ミロはそれまでの具象的な絵画から、一気に一線を越えて、極端にデフォルメして描いています。いったん一線を越えたならば、そこには大きな広場あるいは部屋のようなものが拡がっています。そこでカーニバルの乱痴気騒ぎが行われています。このいろいろな形態はそれぞれバラバラであり、既存の絵画の考え方からすればまとまりはありませんが、ただこれらが画面全体に拡がっているという点でのみまとまりがあります。この世界は小者たちの世界です。小者とは小さな存在であり、着想も行動もチマチマして、総合的で雄大な観点とは対極をなす者たちです。ここでは奇妙な形をした小動物賭して描かれています。これはトータリティが失われた世界観であり、この喪失の後に現れる、断片化された個別的存在たちです。たとえば、話はたいへん大きく飛躍しますが、ベートーベンの『第九』では、総合を目指すおおきな存在がありますが、それの対局として第2楽章の小者たちが多数現れたりします。こういった小者はベートーベンには折に触れてよく出てくる者です。これは全体性を失った世界での小悪魔たちでもあります。ベルリオーズの『幻想交響曲』でも悪魔たちはこういった小者たちです。これらに共通している特性は、総合や全体という世界観から切り離されるのに伴って、断片的で部分的な世界でのみ生きるようになった存在者たちであり、種々の個性的な者が色々とあるものの、その集合は全体を形成することは決してなくて、どこまでいっても寄せ集め的です。これは悪魔的な特性とも結びつきます。それぞれ個性的ではあっても、あくまで種々雑多なタイプです。
またミロのこのタイプの絵画は、カンディンスキーの一部の作品とも似ています。
関連
ワシリー・カンディンスキー(WassilyKandinsky) 「縞」1934年 グッゲンハイム美術館(アメリカ・ニューヨーク)
Peinture (Femme, Journal, Chien) 1925
人間を図形化するとともに、文字を入れています。キュビズムの第2あるいは第3段階のpapier collé(貼り付けられた紙)あるいは文字の挿入から影響を受けた作品です。人間の身体が図形へと完全に還元されています。この点はシュールレアリズムとも少し違うのではないでしょうか。こうして静かな世界に至り、これがミロの世界です。
tête de paysan catalan カタルーニャの農夫の頭部 1925
ミロはさらに次の一線を越えます。これは、早々に下火になったピカソやブラックのキュビズムの流れとは違う方向で、デフォルメをしました。キュビズムは、形態が解体しているようにみえるほどでしたが、塊としてまとまりを維持していました。しかし、ミロはこの作品で、「一つの存在は集合的な塊をなす」という既存の固定観念の一線を越えました。この絵画を上から順に見ると、帽子、目、口、ひげという顔のそれぞれのパーツがありますが、それぞれの要素が乖離してしまっています。これは解体とか分解とも言うことができるでしょう。顔はデフォルメされて、顔の輪郭という単一性を喪失しています。かつてこのような発想を絵画にもたらした人がいたでしょうか。また機械化に近いまでの幾何学的図形へと還元されています。しかしなぜかしら、おおらかで拡がりのある精神性が、画面全体にファンタスティックに拡がっています。
maternité 母性 1924年
これは母親が頭部、二つの乳房、腰部、女性性器の穴というふうにパーツに分解されています。そして、虫か爬虫類のような奇妙な小動物が乳房の近くにいます。
「カタルーニャの農夫の頭部」とともに、この「母性」という作品も、この時期のミロのラジカルな変化をあらわす極北となっています。
子供にとって関心事は、全体としての母親が形成される前には、母親の個々バラバラに有る身体部分であり、こういった傾向が後々にまで引き継がれうると考えられます。こういったフロイトの流れをくむ精神分析的発想をも想起させるような着想が進歩的です。また新しい時代の芸術性の雰囲気が漂っています。もっともこれが今後のミロの基本方針になるわけではありません。今後、いくつもの要素の組み合わせによって多様に表現されます。
(今回の展覧会には出品されていませんでした。)
L'Addition, 1925
additionは、勘定書き、足し算、追加という意味ですが、この絵との結びつきが今のところわかりません。
ここでは人の身体の形態が、不安定な線で描かれていて、記号化されてもいません。
紙の貼り付けpapier colléとも文字lettreとも異なるようです。この数字は意味不明です。
乳房、口、目は記号化されています。母親は乳房の図式にのみ還元されています。緑の顔の目は見る目であり、パレットを持つことから画家つまりミロ自身なのでしょう。そして、乳房を求める白い頭の目は陥凹を特徴としています。突出した目にたいして、陥凹した目は、プリミティブでより強度の強い目です。
Main à la poursuite d'un oiseau 鳥につきまとわれる手 1926年
鳥が手にくちばしをつけていますが、鳥が手を吸い取っています。ここには重要な発想の逆転の一つがよく現れていると思います。鳥手が鳥に吸い取られるという事態は、形象が吸い取られるとともに、主体性が吸い取られる、あるいは逆転して違う世界に移行するということでしょう。
Paysage (Le Lièvre) 1927
風景(野ウサギ)
何であるかわからないような小動物は、変わった形態と特性をもっています。また渦巻きとピンとはねたアクセントは、頭のなか、つまり精神のなかの状態を表しているように思われます。逆さまになった向こう側にある、この世のものではない世界、変わった世界です。
chien aboyant à la lune 月に吠える犬 1926
異次元の世界でありながら、詩情があって、静かで、美しいです。はしごは「逃走」を象徴しています。
Peinture(Escargot, femme , fleur, étoile ) 1934
色と形の配分は、全体としては、分散化してます。
Peinture 1933
まとまりと分散化を含みつつ、総じてまとまる方向に傾いています。グラデーションや色がきれいで、見入ってしまう絵です。
このようにミロは46歳頃から、ずっと戦争を意識する生活をしていて、絵画に決定的な影響を及ぼしていました。
Sans titre (femme en révolte) 1938 無題(抵抗する女)
戦争に反対する作品です。女の苦しみは、引き裂かれるような苦しみです。
Peinture - poème (<<UNE ETOILE CARESSE LE SEIN D'UNE NÉGRESSE >>)星が一つ、黒人女の乳房を愛撫する 1938
意味不明の変わった文章が書き込まれています。この作品は広告と化しています。これは政治的な訴えかけでもあるようです。はしごという記号はここでも逃走を表しているのでしょう。ここでのミロの芸術の世界への誘い(いざない)、それは政治的なのです。
1939−1941年
A3くらいの大きさの作品群です。言葉にならないような美しさでまとめられています。細い線、きれいな色彩で、細密に描かれています。これは政治的な誘いのシリーズとしても位置づけることができます。またカーニヴァルの延長にもあります。
Constellation 1
Le lever du soleil
Miro, Constellation 2
L'échelle de l'évasion
Miro, Constellation 3
Personnages dans la nuit guidés par les traces phosphorescentes des escargots
Constellation 4
Femmes sur la plage
Miro, Constellation 5
Femme à la blonde aisselle coiffant sa chevelure à la lueur des étoiles
Miro, Constellation 6
L'étoile matinale
Miro, Constellation 7
Personnage blessé
Miro, Constellation 8
Femme et oiseaux
Constellation 9
Femme dans la nuit
Constellation 10
Danseuses acrobates
Constellation 11
Le chant du rossignol à minuit et la pluie matinale
Constellation 12
Le 13 l'échelle a frôlé le firmament
Constellation 13
La poétesse
Constellation 14
Le réveil au petit jour
Constellation 15
Vers l'arc-en-ciel
Constellation 16
Femmes encerclées par le vol d'un oiseau
Constellation 17
Femmes au bord du lac à la surface irisée par le passage d'un cygne
Constellation 18
L'oiseau migrateur
Constellation 19
Chiffres et constellations amoureux d'une femme
Constellation 20
Le bel oiseau déchiffrant l'inconnu au couple d'amoureux
Constellation 21
Le crépuscule rose caresse les femmes et les oiseaux
Constellation 22
Le passage de l'oiseau divin
Personnages devant le soleil, 1942
Sans titre (Soirée snob chez la princesse ) vers1946 王女様のところでの気取ったパーティ
第二次大戦が終わって、落ち着いてきています。戦争が終わって少しずつ一段落しているようです。
狂気でもあり倒錯でもある野蛮。とどまることを知らないというふうに作品は続きます。
Le Soleil rouge ronge l'araignée 1948 赤い太陽が蜘蛛を囓る
戦争は終わったものの、このように他の諸作品ではおどろおどろしい狂気じみたものが少なくありません。
Peinture 1953
Peinture 1953
Autoportrait 1937 - 38 / 1960
autoortrait, 1937 -38
それはどうも原爆や放射能のことのようなのです。終わりのない脅威が続きます。人間の奥深くにある、野蛮と狂気がテーマとなっているようです。
Le Soleil rouge 1948 赤い太陽
Le Soleil rouge 1948 部分
放射能の熱線で焼けた痕跡のように見えます。
Le Soleil rouge 1948 部分
この赤い太陽は、いろいろな意味があり得るかも知れませんが、日本のこと、つまり日の丸を想起させます。日本は唯一の被爆国です。ミロはそのような日本にも思いを寄せているようです。
Blue I, II, III
放射能によるシミのような赤と黒。そしてその軌跡も放射線の軌跡のようにも見えます。
以下、展覧会場からの一連の作品を挿入。
↓↓