表参道ソフィアクリニック
1599年6月6日(洗礼日) - 1660年8月6日)
一見して優れた肖像画だと思われます。顔を中心に丁寧に描かれています。柔らかい表現です。
この作品もまた、鑑賞者がどこから観ても王はこちらを見つめているのです。ただお前を見ている、というふうであり、王は自然な敬服を促し誘います。無理のない、力みのない自然な王です。
また、ごく普通な感じのする、これといって王らしい特徴がありません。単なる人といった風です。全体に地味な色合いです。雲行きも怪しく、全体に暗い茶系の世界です。しかし、味わいがありクオリティが高いです。
国立西洋美術館プラド美術館展2018年
フェリペ4世の息子であり、王位継承者でした。王子の5、6歳ごろの肖像画です。
その目は何かを志しているかのようであり、このように幼い頃からすでに志(こころざし)を持って、王たるに相応しい資質を備えています。知力、気力、意思、運動能力、統率力、気質、そしてバランスのとれた性質。果敢にして沈着冷静である、軍の最高司令官としての資質。善にして正統を行くタイプの人。それらを兼ね備えていることを一度に表現していて、統治者たるにふさわしい姿をあらわしています。子供でありながらも、とても落ち着いた賢い様子です。
しかし、16歳で急死しました。
まとまりバランスのとれた構図です。安定的なピラミッドの構図を基本として、それに円形が組み合わされて、なおかつ左上に向けて躍動感が生じるように斜め線が入っています。さらに背景の道などの斜め線が入り、力動と壮大さが組み合わせられています。
ベラスケスは無闇に理想化して描きはしないのではないかと思います。王室では、この王子にいかに期待をかけたことでしょう。スペイン王国の希望の星として描かれています。この王子が早世したために、統治能力を望めないカルロス2世が王となりました。
プラド美術館展2018年
1636年またはそれ以降
オリバーレス伯公爵ガスパール・デ・ グスマン(1587–1645年)
Don Gaspar de Guzmán (1587–1645), Count-Duke of Olivares
代表作の一つと言える見栄えのするこなれた描写です。
ダイナミックで、描写は自由で闊達です。これより細密だと、むしろ良くないと思われます。つまり丁度よい細密さです。絶妙な案配と言っていいのでしょう。
描写の細密さの中心は、むしろお尻のほうです。そして顔をよくみると、むしろ筆ムラが結構あります。
馬の顔も細密です。
とても見栄えのする逸品です。
メトロポリタン美術館展 国立新美術館 2022年2月~
この少年はフェリペ4世の宮廷に仕えていた矮人(わいじん:背丈が低く、からだの小さい人)です。結構味わいのある作品です。とらわれ少なく自由闊達に描かれています。自然でバランス良いです。
ちなみにこの少年は知的障害を持っていたことがわかっています。
国立西洋美術館プラド美術館展2018年
フェリペ4世はベラスケスのパトロンでした。この肖像画描かれた年に、王はカタルーニャでフランス軍と戦って勝利しました。彼のほとんど唯一の軍事的功績です。ベラスケスもこの戦いに同行し、この勝ち戦の帰路にてこの肖像画を描きました。この肖像画で王が着用している服は、この戦闘の時に着用していた軍服です。王はここでも威圧的でなく、豪華です。ただ何となく少し空疎な感じがします。この絵を見ると筆さばきは結構早かったと思われます。
王は、一種独特の眼差しでこちらを見下ろしています。この王は、神に近い王ではなくて、人間的です。この絵を見上げる臣下たちは、威厳というよりは、人間としての王に自然に敬服しそうです。この絵をどこから観ても王はこちらを静かに見ています。王は、この絵を観る全ての人に眼差しを送っています。観る人の存在を認めているように。
彼は穏やかな優れた人柄のゆえに多くの人に愛されたらしいです。
(Frick Collection 2018, New York)
超高画質
この画像は実物よりも色や光が鮮明であり、また滑らかそうに見えます。
<ウィーン美術史美術館にて>
フェリペ王子
Phillippo Prosper
フェリペ王子は、ほんの僅かに微笑んでいます。目はクリクリとしていますが、力なく手を椅子に掛けています。
魔除けのエプロンを着けているとのことです。
この王子はわずか4歳で死去したようです。有名なマルガリータの弟です。
描かれた当時は2歳です。彼はフェリペ4世の息子であり、ただ一人のスペイン王位の継承者で周囲から期待されていましたが、丈夫ではなくて、病弱であり、1661年に死去しました。因みにその数日後に弟カルロス王子(のちのカルロス2世)が誕生しました。彼もまた大変に虚弱かつ病弱であり、統治能力もありませんでした。
1653−1654年
<ウィーン美術史美術館にて>
薔薇色のドレスの王女(2歳または3歳)
芸術作品としてもさほどに感銘を受けるような作品には見えませんでした。パッとしません。
神聖ローマ皇帝レオポルト1世と婚約をしましたが、まだ行く末のわからないマルガリータ王女です。この作品は、記録であり、ウィーン宮廷に向けての報告肖像画ですが、それにしては省略が多すぎ、筆致も荒く、背景の雰囲気も暗く、手はなんとなく生気が乏しいです。生命力に満ちているわけでもなく、脆弱性の方が先に立っているようです。表情もスッキリしません。周囲から色々なものを着せられて、装身具を身につけさせられて、立っているという風です。卓越した筆さばきと色遣いなのでしょうが。
1659年
<ウィーン美術史美術館にて>
青いドレスのマルガリータ王女(8歳)
全体にはあまり緻密に描かれているわけではありません。かろうじて顔だけが細かく描かれています。精彩を放っているということもありません。豪華絢爛というわけでもありません。くすんだような印象でもあります。
ベラスケスの死去する1年前の作品です。
神聖ローマ皇帝レオポルト1世との結婚しました。レオポルト1世は叔父でもあり従兄弟でもありました。幼少期から婚約しており、マルガリータ王女の生育状況をウィーン宮廷に伝えるために、3歳、5歳、8歳の肖像画を製作しており、それがウィーンに今も残されています。
1666年15歳で結婚。幸いにして夫婦仲はよかったようです。しかしもともと華奢であったのに6年間の結婚生活のうち6回出産したこともあり、21歳で早生しました。この6人の子供達のうち成長することができたのは一人だけであり、これが女子であったことから、スペインの王位の継承は途絶えてしまいました。もし待望の男子が成人していれば、スペイン王にして神聖ローマ皇帝になるはずでした。マルガリータとレオポルト1世の結婚と世継ぎの誕生はそれくらい重要でした。マルガリータの弟カルロス2世はあまりにも脆弱で王位にはついたものの、統治能力もなければ、世継ぎを作ることも望めなかったからでもあります。
マルガリータとカルロス2世の死後、スペイン・ハプスブルク家は断絶しました。レオポルト1世とルイ14世の間でスペインの王位を巡って、スペイン継承戦争という大戦争が発生し(1701年 - 1714年)、スペイン・ハプスブルク家は断絶しました。ながいあいだ両者の間では宿命の対決が繰り広げれれていましたが、実権は、ついにフランス側に移り、スペイン・ブルボン家がスペイン王を継承することになりました。