表参道ソフィアクリニック
ヴォージラールの家1880年
ある種の単調な作品ですが、この単調であるが故に、壁や屋根の表情、そして省略法など、描くのが難しいところがあります。巧みに描いているとおもいます。まだ初期の頃だからか、写実ふうで後のゴーギャンらしさがあまり前面には出ていません。
ピサロの影響のもとに描かれたといいます。そういえば、ピサロと似ています。
イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜 2021.12 三菱一号館
1888年 ゴッホとの共同生活
1888年11月
ポール・ゴーギャン ブドウの収穫、人間の悲惨 1888 油彩
ジュート オードロップゴー美術館
Paul Gauguin The Wine Harvest. Human Misery Oil on sackcloth of jute Ordrupgaard, Copenhagen
ゴーギャン到着後の1ヶ月目あたりの11月の作品です。
「この年かいた最高の絵画だ」と自己評価の作品です。「このブドウ園の風景はアルルで目にしたものだ。そこに、ブルターニュの女性を配した。実際にないことだがかまわない。今年描いた最高の絵画だ。乾いたらすぐにパリに送る予定だ」(ポール・ゴーギャン、1888年11月、エミール・ベルナール宛の手紙)。一般にも、アルル滞在中のゴーギャンの最上の作品とも評価されています。
ファン・ゴッホもこの作品を熱烈に称賛しており、テオへの手紙でも「今、彼は完全に記憶からブドウ園の女性たちを描いている。彼が、この絵を台無しにしたり、途中で投げ出したりしないなら、とても素晴らしく、かつてない作品となるだろう」(フィンセント・ファン・ゴッホ、1888年11月、テオ宛の手紙)と語っています。
これはゴッホと散歩した時にみた光景から着想を得たようです。夕日に染まるぶどう畑。しかし女性たちはブルターニュの衣装を着たブルターニュ女です。前景は物乞いをする女です。この女性のポーズは、かつてゴーギャンが見たペルーのミイラをヒントにしたと言われています。
以上2016年ゴッホとゴーギャン展より
1888年11月
ポール・ゴーギャン アルルの洗濯女 1888 油彩、カンヴァス ビルバオ美術館 Paul Gauguin Washerwomen in Arles Oil on canvas Museo de Bellas Artes de Bilbao
夢の中のようです。生活の現実感は希薄です。こういった幻想的で夢の中のようなところがゴーギャンの特徴の一つでもあり、ゴッホと異なるところです。平面的で絵柄のようなものにもなっています。絵画の装飾性についてもゴッホと異なっています。
この作品もまたやはり南仏というよりはブルターニュの香りがしています。
ゴッホはゴーギャンと熱心に絵画について話し合っていると思っていたのに、ゴーギャンは絵についてはゴッホと意見が合わないと特に考えていました。
同年の年末にはゴーギャンとの関心の差が浮きだってきました。
1888年11月
フィンセント・ファン・ゴッホ ゴーギャンの椅子 1888 油彩、カンヴァス ファン・ゴッホ美術館 (フィンセント・ファン・ゴッホ財団) Vincent van Gogh Gauguin’s Chair Oil on canvas Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)
夜であり、幻想的。狂気への発作の予兆。嵐の前の静けさ。ゴーギャンの想像と幻想の世界。ゴッホによるゴーギャンの象徴的肖像画です。
ゴーギャンとの共同生活が破綻する前の作品です。
椅子の上には書籍が2冊とろうそくが一本。
ろうそくは生命が有限であることや虚しさ、そしていかにもファリックな象徴であるように見えます。
監督 エドゥアルド・デルック
原題 Gauguin - Voyage de Tahiti 「ゴーギャン – タヒチへの旅」
2017年フランス
1891年、タヒチ行きがいかに大変なことか、危険を伴っていたことか、一大決心を要したことか、また破天荒なことであったか。フランスに妻や子供たちを残して。
ゴーギャンは売れない芸術家でしたが芸術家としての信念と希望を貫きました。この映画作品からはそのことが伝わってきます。しかし、そういった外面的な側面でなく、内面的な側面、芸術性の本質といったあたりのことが伝わってきにくかったです。そしてこの映画作品では、結婚、貧困、病気、妻テハーマナ(タヒチ)の不貞といったプライベートな事柄についてかなり多く描かれています。結局、貧困から妻を養えなくなり、絵も描かずに、港湾労働者となって、病気と妻の不貞を機に、フランスに帰国することになりました。その前に描かれた妻の肖像画が映し出されます。画家は、妻の中に再び真っ直ぐな自然のままの清い美しさを見出しているようです。これは文明化されていないものです。ゴーギャンはこのために、タヒチに来たのではなかったか。この妻の肖像画の背景にはこの映画で描かれた個人的な経緯があったようです。
<黄色いキリスト>のある自画像
<2017年春三菱一号館美術館『オルセーのナビ派展』にて>
1890-1891
ゴーギャンがタヒチ滞在直前に描いた作品です。
ゴーギャンは緊張した面持ちのように見えます。背景のツボはゴーギャンの顔にも対応していて、自身の内面の一つを表しているのでしょうか。グロテスクでもあります。
総じてプリミティブへの憧れが現れているようです。キリスト像はプリミティブな世界におけるものです。抽象的な意味において原始キリスト教のような黄色いキリスト。そしてキリストはゴーギャンの顔に似ていなくもありません。
1891年 タヒチの女たち
ゴーギャンの諸作品の中では、特に充実感のある見応えのあるものです。この光景はどうやら天国であるかのようです。南の楽園に見られる天国です。いわば神の国のようです。ここには天使もいます。またマリアとイエスと見なせます。
全体に美しい色彩で、装飾的でありますが、さらに一歩踏み込んで言えば、ポスター的です。そしてまるでタヒチの良さを宣伝しているようでもあります。ここは良い所ですよ、とでも言っているかのようです。美味しいものもいっぱいある自然の実りの豊かな国、アルカディアのような。
それでいて芸術的な香りが高いです。
天使の翼の黄色も美しいですね。
(The Metropolitan Museum of Art, 2018)
タヒチでのダンスの光景です。このダンスは、はるか遠く神秘的な過去を生き返らせようとするものでもありました。しかし官能的であるとしてフランスによって禁じられました。
印象的な構図です。臨場感もあります。色の配分がよくて、とくにオレンジ色と緑色が綺麗です。
イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜 2021.12 三菱一号館
割合大きなサイズです。
アルカディアに生きる人々。そしてその中に画家も再生します。マタモエとは死を意味します。文明から離れて、一つの死を経て、タヒチという楽園の中に生き返ります。美しい色彩と光と形象のコンビネーションです。朱色、緑、黄色。
しかしあまりしっかりと描かれているわけでもなさそうです。
プーシキン美術館展2018年
1892年
平和であり、穏やかであり、現実のタヒチをリアリティをもって伝えているようです。
いい作品です。
メトロポリタン美術館展 国立新美術館 2022年2月~
美しいタヒチの女性像です。ヨーロッパ系に負けないくらいの美しい現地産の女性達。肌の色が白くなくても、とても美しい南の島の女性達。白人の方が美しいのではありません。肌の色がついていても、固有の美しさがあります。肌の色が黄色でも茶色でもあるいは緑色がかっていても、美しいです。そしてセクシュアルな魅力にも溢れています。男性の至上の享楽を満たしてもくれる芳醇も表現しています。これはアルカディアの女性達です。<ここは良いとこだよ>、というメッセージも含まれていそうです。
そして神々しさは、キリスト教的ではなくて、現地的な神々しさであり、それは芸術的で上質な作品となっています。
タヒチに来て8年くらい、現地では大変な苦渋を舐めつくしていたゴーギャンの晩年の作品です。
(The Metropolitan Museum of Art, 2018)
1901年
ポール・ゴーギャン
肘掛け椅子のひまわり 1901 油彩、カンヴァス E.G. ビュールレ・コレクション財団 Paul Gauguin Sunflowers on an Armchair Oil on canvas Foundation E.G. Bührle Collection, Zurich
別バージョンがエルミタージュ美術館にあります。
ゴーギャンの晩年の作品です。ひまわりと肘掛け椅子を描き、ゴッホに想いを馳せていたように思われます。ゴッホが描いたゴーギャンの椅子に対する返歌のようでもあります。とりわけ苦労の多かったゴッホ。そしてゴーギャン自らも歳を重ねるごとに苦労が増したことでしょう。このひまわりはゴッホの描いたひまわりの絵にも似ているものもあります。少し古くなって萎れかかったひまわりです。ゴッホの「黄色い家」に飾られたひまわりの絵の花も少し古かったのですが、ゴッホの方の要点の一つは、ひまわりには無数のタネができるということです。涙ぐましいものがあります。それにたいしてゴーギャンのこの作品では、タネが強調されていません。
自分の椅子にゴッホを乗せて抱えているようにも見えます。この椅子は心の椅子です。あるいは心の椅子からひまわりが咲いているともみれます。