表参道ソフィアクリニック
抽象表現主義がいつごろから始まるかは、割とはっきりしています。
抽象芸術の画家や批評家は、作品だけでなく、多くの文章を残しています。1911年カンディンスキーは、『芸術における精神的なもの』において、対象的なものを一切断念し、純抽象的なもののみを表現しなくてはならないだろうか、と未確定的に形で抽象表現のありかたについて自問しています。また12年にパリの詩人・美術批評家ギヨーム・アポリネールがより明瞭に抽象表現主義について述べています。この辺りの年代は、抽象表現に向けて急速に歩みを進めていた時期です。アポリネールは、現実の模倣は何ら重要ではなく、芸術家の構成が重要であり、主題も問題でないかあってもわずかにすぎないのであり、芸術家はそのうような純粋絵画をつくろうと目指していると記しています。
1911年カンディンスキーのImpression Ⅲが制作されました。
1912年10月にクプカの<<アモルファ、2色のフーガ >>が出品されました。
抽象表現主義の開拓者たち。3人。
抽象表現主義の開拓者たちとして、およそ3人を挙げることができます。
カンディンスキー、クプカ、そしてその後しばらく経ってモンドリアンです。
クプカ
『アモルファ、2色のフーガ』
Wassily Kandinsky
Impression III (Concert) -
Piet Mondrian Tableau I, 1921
1912年から1914年までパリに滞在し、ピカソやブラックが提唱するキュビスムの理論 を研究し展開して、抽象への志向を強めました。思考錯誤の末に1921年にこのような作品構成に至った。
宇宙の調和の表現でもあったといいます。
一般に、抽象表現主義への流れとしてポスト印象派があるとされます。たとえば、ゴッホ、ゴーギャン、スーラ、セザンヌなどです。そしてこの流れには、次のような二つの流れに分けられることもあります。
これはアルフレッド・H・バー・ジュニアの『キュビズムと抽象芸術』で提唱された区分です。
抽象表現主義には幾何学的なものと非幾何学的なものがあります。
1. 幾何学的抽象とは、スーラ、セザンヌを先駆として、とりわけキュービズムを経て構成主義などに至る流れです。
2. 非幾何学的抽象とは、ゴッホ、ゴーギャンからフォービズムを経てとりわけカンディンスキー、そして一部のシュールレアリズムからの流れです。
以上の二つをさらに短くまとめてしまえば、キュービズムが幾何学的抽象へと発展し、カンディンスキーが非幾何学的抽象へと発展したということです。
これはかなり明快にして、一定の説得力のありそうな考え方です。これについてはさらに検討をすすめたい着目点です。どのような意義のある考え方なのでしょうか。
彼は、絵画の独自の自己定義が「平面的な表面、支持体の携帯、顔料の特性」という三つのメディウム(手段、媒介)であるとして、現実の対象の模倣を放棄して、また主題について描くことをせず、ただこのメディウムだけを提示するのが抽象主義としました。これが純粋絵画であり、自律した絵画です。
カンディンスキーは、対象の模倣の放棄にたいして確信が持てず、躊躇し、対象の模倣を残存させています。そのことはカンディンスキーの絵画を見てわかります。かれは自身の著作『芸術における精神的なもの』のなかで、「芸術のための芸術」という自立性を強く否定していたようです。また対象の模倣を完全に捨て去ることは、表現主義の「武器庫を縮小する」ことになると述べています。
農民が都市部に労働者として出てきて、一定の読み書きをはじめとして教育を得はするものの自らの出自の文化を喪失してます。そういったところに、気晴らしのために多くの文化産物が彼らに提供されます。その文化産物がキッチュです。V文化産物は文化産業が営利目的で製作されます。また過去の斬新な芸術作品が、その目的で提供されるのもキッチュであるとされます。つまりアカデミックな芸術作品は、キッチュのお飾りと化します。キッチュは機械的に複製し再生産できるものです。文化産業はそこから利益を上げます。
アヴァンギャルドなども必ずしもこの流れに抵抗できず、自分の作品をこの流れに沿うように修正したりします。つまり境界線のケースです。
またピカソとソ連のレーピンの対比を持ってきます。「ピカソは原因を描くのに対して、レーピンは結果を描く。レーピンは観る人のために芸術を消化しやすいように加工して、労力を省いて真の芸術に伴う必然的に困難なものは避け芸術の楽しみへの近道を提供する。レーピンすなわちキッチュは、模造の芸術である。」ここではキッチュとは前衛に対する後衛というような意味となります。そしてレーピンは結果を模倣する点をもって、真正の芸術でなく、キッチュという名を冠せられたアカデミズムとして位置付けられています。
もっともこのグリーンバーグの意見については、そう言われたらそのようにも思われる、というくらいのもので、具体例としては、あまり説得力のあるものではありません。
グリーンバーグは、彼の同時代の芸術については、アヴァンギャルドとキッチュという、全く異なるとされる二項対立がたてています。
さらにレーピンを例にしながら、次のことが言いたかったからレーピンを持ち出してきたと思うのですが、独裁的な全体主義的ん体制においては、労せず楽しむことができるキッチュは、芸術が大衆の水準に降りて、体制のプロパガンダを注入することができます。アヴァンギャルドにはそれができない、アヴァンギャルドが危険な思想の基づいているからではなくて、単に役立たずだということです。ですから全体主義的な国家ではキッチュが用いられるのです。
これはいわゆる「社会主義リアリズム」のことを指しているのでしょうか。
『ヴォルガの船曳』レーピン
レーピン:1844 - 1930
・カンディンスキーは神智学に近いルドルフ・シュタイナーの思想に傾倒しました。彼は、自然の外形の背後にある高次の世界を描くという形而上学的観点から、それを表現すべく外形を変形し溶解しました。
・モンドリアンも神智学協会に入会し、またマレーヴィチも神秘思想に傾いていました。
抽象表現主義の草創期においては、現実の背後にある何らか本質の表現に重きを置く傾向と、神智学や神秘思想への親和性は、近いところにあったと思われます。
もっとも、これはフォルマリズム理論の主張する「主題のない絵画」とはいえません。また、抽象表現主義をこのような観点からとらえようとする立場は、フォルマリズム理論と全く対立した見方を形成しました。
シュタイナーの神智学の考え方の一端に次のようなものがあります。宇宙と人間は、霊的な進化の途上にあって、個人の精神の覚醒という形で、その進化のプロセスが現れ、またこれは全体の進化に寄与します。また、この霊的なものは直接に幻視的な音や色としても現れうるものであり、シュタイナーは芸術家をこのような能力を持った「見者」として位置づけました。精神的な本質を表現したいと考えていた芸術家たちのなかには、神智学に強い関心を抱く者がいました。
上のような観点からロバート・ローゼンプラムの1976年『近代絵画と北方ロマン主義の伝統』で反「フォルマリズム理論」を提起しました。これにもみられるように70年代の抽象表現主義の研究は、抽象芸術にこめられた「意味」に光を当ててそれを再評価しようとしました。
こうして、長く影響力の強く優勢であったフォルマリズム理論にたいする反動が生じたのでした。
フォルマリズム理論では、作品の形式面を考慮して内容面を考慮しないが、70年代の反フォルマリズムでは、神秘主義的な意味内容を見出していました。
抽象表現主義の起源として、自然科学、実証主義の19世紀から20世紀にかけての発展も考えられます。たとえば、色彩論、波動の理論、生理学、実験心理学、音楽と美術のアナロジーに関する理論などです。これはいわば形式面の幅を広くとって、その起源がかなり豊穣であったとかんがえられます。これは神秘主義思想とは対極にもあると考えられます。もっとも両立が不可能なわけではありません。双方が共存しているという観点のほうが重要であると思われます。そう考えることが、現代アートの種々のヴァリエーションと変転を追いやすくなるかと思われます。またそれは形式と内容が併存しているということでもあります。あるいは個々の作品において、そのどちらかに偏っているという検討も有用かもしれません。
対象の模倣に拘束されることから解き放たれ(完全に脱却するわけではありません)、精神的なものの価値に基づく、新しい世界像を示すべく、象徴主義が生まれました。その新しい世界像とはどのようなものでしょうか。それは明瞭ではない者の絵画のなかで予感のようにして表現されました。それは懐古的でもあり、アルカイックであったり、また未来志向の先進的なものであったりしました。また、内面への沈潜は、少なからず神秘主義にも大きく接近することがありました。
19世紀末の批評家アルベール・オーリエの「絵画における象徴主義-ポール・ゴーギャン」において、フランスの象徴主義のひとつのながれであるゴーギャンやポンタヴェン派に、プラトン的な「イデア」を中心とした「観念、夢、思想」の表現のために言語に置き換えた記号が絵画であるとしました。ゴーギャンは、「芸術は抽象であり、・・・、それこそ私たちが主の創造に倣い、神の高みに近付く唯一の道です」と手紙に書いています。
記号論、象徴
詩人ルネ・ギルは『語論』1886年のなかで、言葉の響きを楽器にみたて、詩的言語について検討しました。カンディンスキーはこれに影響されて、詩的言語を絵画に応用して抽象絵画の構成について考えました。絵画には色彩と形態があり、それにはそれ自身の「内面の響き」があり、対象を模倣する再現的機能を弱めれば、色彩と形態の抽象的な要素がおのずと前面に出て純粋な響きを発するようになると考えました。
線と色彩によるリズムとハーモニーの表現として抽象絵画を考える流れがあります。
装飾芸術としての抽象表現主義
世紀末から世紀初めの装飾芸術運動も抽象表現主義の誕生の素地の一つになっています。フランスなどのアールヌーヴォーやアールデコ。そしてドイツのユーゲント・シュティールなどの芸術運動。そして当時、装飾芸術についてのいくつもの理論が発表されました。これもまたカンディンスキーに影響を与えました。
・「原因を描く」こととは、内面から湧き出てくる何かを描くことです。
・幾何学的と非幾何学的という対比については、幾何学的と有機体的と言い換えてもよさそうです。この二つの対比は重要そうです。そして両者の混合もあります。
・新しい抽象芸術は、過去との断絶があり、だからこそ「原因」を描けます。こういった観点からも現代アートの流れがわかります。
Momaにて