表参道ソフィアクリニック
ニュルンベルグ、1471-1528年
1493年 自画像
自画像、もしくはあざみを持った自画像
23歳の頃の自画像です。
緻密な油絵の使い方は逸品です。この自画像では、知性と感性を兼ね備えています。
目という感覚器官は特に丁寧に描かれています。
まだ若々しいです。おしゃれな衣装です。帽子の飾りも印象的です。
手の描写は巧みです。右手には何を持っているのでしょうか。「アザミ」らしいです
しかし目は少し斜視に見えます。一般に自画像は斜視に見えることもあります。この作品では大変に緻密に描かれており、目の描き方を誤って、斜視として見えてしまうということはないでしょう。
1519年 マクシミリアン1世
これはマクシミリアン1世の最晩年の1518年のアウグスブルクの帝国議会での様子を素描し、それに基づいて皇帝の死後この作品を完成させた。マクシミリアン1世はこの会議の時には59歳くらい。この翌年1519年1月(およそ60歳)で死去した。この死去した年にこの作品を完成させたことになる。この作品はマクシミリアン1世の最晩年の風貌を描いた作品である。
ウィーン美術史美術館にて
エンブレム的である。
写真でもあまり精彩がなかったが、実物もあまり精彩を感じない。
デューラーらしい対象に肉薄するような卓越した精密さが感じられない。もう少し緻密に表情を描いても良かったのではないかとも思う。顔の描写もどことなく、形が微妙に歪んでいるようである。表情の陰影の付け方は今ひとつ。また手指の描写は稚拙なくらいでありデューラーらしくない。デューラーの作品としては今ひとつに見える。
この絵画の写真を初めてみたときには、デューラーの作品だとは知らず、まさかデューラーだとは思わなかった。
このマクシミリアン1世の肖像画は絵画作品としてというよりは、マクシミリアン1世がこのような風貌であったという歴史的な意味がある。
ただマクシミリアンの風貌はそんなには冴えたものではない。むしろ落ち着いていて、質素なくらいである。
一応の印象は残るものの、ああ、これがマクシミリアン1世ね、そういうくらいのものである。
その表情からはほとんど何も読み取れない。
これが神聖ローマ皇帝しかもハプスブルク家を一挙に大帝国にまで成長させた人物のようにはにわかには思われない。若い頃は凛々しかったのではないかと想像もするのだが、また中世最後の騎士とも呼ばれるのだが、そんな感じもない。
画面左上には神聖ローマ帝国の紋章が豪華に描かれている。しかしそこにはなぜか羊が吊るされている。これは何を意味しているのか。
神聖ローマ皇帝は、ローマ・カトリックを守護する責務を負っているが、彼は統治者の印を一切身つけていない。いわば欄外に、王冠の頂上に小さな十字架があるのみである。
人物が手にしているのは、割れて中の種が見えかかっているザクロである。マクシミリアン1世はザクロを自分の紋章のようにも使っていた。また彼の孫のカール5世の妻イザベラもザクロを紋章として用いていた。
ザクロはキリストの復活の象徴ともされる。その意味で幼子キリストが手に持つことがある。また多くの種子が丈夫な果皮に包まれていることから、権威のもとでの人々の結束の象徴ともなっている。(西洋美術解読事典より) これらの一般的なザクロの意味はこの作品のザクロの意味を考える上でなんらかの参考になると思われる。マクシミリアンは敬虔なキリスト教徒であることを皆に示し、彼の子供たちや孫たちがマクシミリアンという分厚い果皮に覆われて育ち、やがてこれらの種子がまた大きくなっていくのである。マクシミリアン自身があの世で復活することを願っているとも取れるし、現世においては、マクシミリアンの分身たちが自分の代わりとして発展していくことは彼の復活でもあろう。
ザクロは子宮のようでもあり、ザクロは自然に割れて種子が飛び出すのだが、割れ目から内部の多くの子供達が垣間見られているようでもあり、それらがやがて生まれ世界に広がり発展していく。ザクロは女性原理、豊穣を意味している。(イメージ・シンボル事典より)
またザクロは多様の中の統一を表すともされる。(イメージ・シンボル事典より)
マクシミリアンは自分の子供達や孫たちを政略結婚に用いてヨーロッパ中にそのタネを蒔いた。
1518年10月マクシミリアンは旅の途中インスブルックの旅館の主人からなぜかしら宿泊を拒否され寒い中やむなく野宿をした。皇帝がである。彼は旅をする時に、5年も前から自分の遺骸を入れる棺を持ち歩いていた。皇帝はこの旅で次第に体力を消耗していき衰弱し、12月には旅の途中で動けなくなった。そして19年1月に死去した。
このデューラーの作品は、マクシミリアン1世の人柄をよく表しているのかもしれない。
また賢明にして偉大な彼ではあるが、他方では棺桶を持って移動していたということからしても、そういえばこの皇帝の表情は陰気臭いところがあるように思われる。
また彼は父親も皇帝であったものの、一族は貧しく衣食に困るほどで、皇帝たる父親自らが畑に出て農作業もしていたという。マクシミリアンはブルゴーニュ公国の王妃と結婚することでいわば逆玉に乗って発展のきっかけをつかんだが、ブルゴーニュといえば優美にして豪華であったにしても、彼は金銭など部下に鷹揚に与えたりして自分には大してお金が残らないこともあったらしい。
彼の人となりがこの作品にも現れているのかもしれない。彼の素のままの相貌を描いたものなのか。