表参道ソフィアクリニック
明治なかばの東京で生まれた藤田は、東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業後、26歳で画家になる志を抱いて単身フランスに渡ります。試行錯誤の末に独自の画風を確立、のちに藤田の代名詞ともなった「乳白色の下地」の裸婦作品で1920年代のヨーロッパ画壇を席巻し、一躍エコール・ド・パリの寵児となりました。第二次世界大戦中に日本で作戦記録画を制作。戦争責任を問われて挫折を味わった後、再びフランスに戻り、晩年はフランス人レオナール・フジタとして穏やかな生活を営みながら精力的に制作を続けました。1968 年に81 歳で亡くなり、自らが建てたランスにある平和の聖母礼拝堂に埋葬されました。
藤田嗣治は、時期によって画風が大きく変わります。パリならパリらしく、南米に行けば南米らしく、日本に帰れば日本らしく、そして戦時中であれば戦時中らしく。戦後は自分の画風を確立しました。
その場に合わせて、「何が最適なのか」を見出し、変身する事ができるかのようです。
このような変身ぶりはあるいはヒステリー性格的と見ることもできるかもしれません。
この美術館は2022年に開館しました。数多くある美術館の中でも「美術館の名作」の一つだとおもいます。
このような自伝的なエッセイも書いています。彼はなかなかの文筆家でもありました。
1914年にピカソのアトリエを訪れました。そしてピカソのキュビズムに触発されて描きました。
1914年に第一次大戦が勃発
おそらく1920年に乳白色の肌を完成させていたようです。これによって独自の画風を作り上げました。
座る女 1921年
「乳白色の肌」の最初期のものの一つ。装飾的です。
浮世絵の「大首絵」も関連させることもできます。
写真ではわかりにくいですが、爪と手に淡い朱色で彩色されています。
(2021.5「フジタ-色彩への旅」ポーラ美術館)
「乳白色の肌」にてサロンで成功をおさめました。
タピスリーの裸婦 1923年 京都国立近代美術館蔵
装飾性の高い作品です。
繊細で細密な描線と墨のような濃淡、淡い色彩が特徴的です。
全体に繊細で洗練されています。
藤田の初期の代表作の一つに数えられるでしょう。
(2021.5「フジタ-色彩への旅」ポーラ美術館)
裸婦像 長い髪のユキ 1923年
墨でぬったような黒い背景。面相筆による細い線に墨のような濃淡の肌。そして唇、爪、乳首にはごく薄いピンクが彩色されています。シックで繊細な画風です。
(2021.5「フジタ-色彩への旅」ポーラ美術館)
左の絵
《イヴォンヌ・ド・ブレモン・ダルスの肖像》 1927年 ポーラ美術館 © Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 B0520 新収蔵
金箔の背景で日本風にして装飾的な肖像画です。以前よりも神秘性が少なくなって現実的な画風です。
変転しています。
(2021.5「フジタ-色彩への旅」ポーラ美術館)
右の絵
《礼拝》 1918年頃 ポーラ美術館 © Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 B0520
レオナール・フジタ(藤田嗣治) ≪自画像≫ 1929年 水彩、墨/絹本
ポーラ美術館蔵 ©Foundation Foujita / JASPAR, Tokyo, 2013 E0613
現実的な生活者としての画家自身を描いています。彼は手仕事の人です。オーラが出ています。オーラは何なのでしょうか。仏のようにも見えなくもありません。手仕事をしているとき、彼は仏になったような気になるのでしょうか。無の境地になるような。
(2021.5「フジタ-色彩への旅」ポーラ美術館)
これまでの全てを棄てての出立でしょうか。画風も大きく変わります。
旅行中である都合もあって、水彩画が増えます。
今日見ることができる以上に、よりオリジナルな中南米を見ていたのでしょう。
メキシコにおけるマドレーヌ 1934年 京都国立近代美術館蔵
これは帰国後の作品です。中南米ふうのセンスで描かれています。
メキシコ滞在中を思い出しながら描いたものです。背景にあるのは教会です。二人が結婚式を挙げた教会でしょうか?
(2021.5「フジタ-色彩への旅」ポーラ美術館)
1934年に、マドレーヌを伴い中国を旅しました。
北平の力士 1935年
堂々とした力士像です。
全ての人が別々の方向を見ています。構図的に分散とまとまりが両立しています。
(2021.5「フジタ-色彩への旅」ポーラ美術館)
藤田嗣治 《吾が画室》 1936年 油彩・キャンバス 30.0×39.4 公益財団法人平野政吉美術財団蔵
東京での自分の画室を描いています。物に対する好みを表してもいます。そういった傾向の原点でもあります。
(2021.5「フジタ-色彩への旅」ポーラ美術館)
戦争画もまた堂に入ってます。
ラ・フォンテーヌ頌 1949
(2021.5「フジタ-色彩への旅」ポーラ美術館)
優美神 1946-1948
西洋絵画の伝統の三美神に近いものかと思われます。
(2021.5「フジタ-色彩への旅」ポーラ美術館)
1950年渡仏し、それ以降フランス国籍を取りました。
またカトリックの洗礼を受けました。宗教画も本格化しました。
1949年のニューヨーク展から、乳白色の肌を再開しました。
「春」1953年
「秋」1953年
独特の形と肌であり、また「乳白色の肌」とも異なります。
(2021.5「フジタ-色彩への旅」ポーラ美術館)