表参道ソフィアクリニック
centre Pompidou
キュビズムの源泉としてたとえば次の二つが考えられます。
・セザンヌ
・プリミティズム
なぜ、これがキュビズムの源泉なのかわかりにくいところがあります。こういった源泉だけからキュビズムを理解するのは難しそうです。
それよりは、表現の可能性の伸張が課題であり、キュビズムはその課題の解決に向けての一つの方法、着想、材料であったと思われます。キュビズムの場合には、遠近法の解体、それが一つの重要なポイントですが、しかし、それとても、いくつかの要素の一つにしか過ぎません。
次の作品が、ピカソがプリミテズムの方向に結びつく最初であるかと思われます。後の「アヴィニョンの女」に似た特徴が顔に表れています。
Portrait de Gertrude Stein 1905 - 1906
左右の目は遠近法を否定するかのようにいびつな形になっています。実際のモデルとなった女性は、このような目の左右非対称はみられません。
Gertrude Stein and Picasso’s Portrait of her, 1922 | © Christine/Flickrcommons
ピカソのプリミティズムは、『アヴィニョンの娘たち』(1907年)に集約されます。これがピカソのプリミティズムの最初の本格的な作品であり、かつその総決算であり、そして完成であり、それ以降、別のものキュビズムに移行して展開していきかす。つまり『アヴィニョンの娘たち』は、後のキュビズムではありません。違う種類のものです。一つの完成した作品でありつつ、次のキュビズムへの大きなステップです。
ピカソのプリミティズムは、これ一枚で集約されて、その概説、概要、要約であり、早くも完成していて、そして早くに背景に退きました。つまりいわばこれも短命でした。こういった短命さという点では、点描画の場合も同じです。また次のキュビズムも短命でした。既存の絵画は、アカデミズムとも呼ばれますが、何百年も続いたのでしたが、それに抵抗して新しい表現形態を探索する運動はどれも短命におわる傾向があります。
Les Demoiselles d'Avignon, oil on canvas, 244 x 234 cm, 1907
Museum of Modern Art, New York
セザンヌの風景が由来のものを、多面体的に描く試みがなされました。ブラック、ピカソ、ドランらがいます。
これらも準備段階に過ぎません。要するにセザンヌはヒントになったのであり、一過性の中の一過性であったと思われます。しかし、これも明らかに次のキュビズム、とくに「分析的キュビズム」とも呼ばれるものに大きく飛躍するための、重要で小さなステップであったと思われます。
キュビズムは、既存のものとは全く異なるものであり、炸裂・爆発するかのように一気に生まれ、完成しました。つまり完成した状態で生まれたのでした。キュビズムは絵画の一つの方法論に過ぎませんが、その表現の可能性を探索する完成した一つの作品となり得ることを証明することができました。より先鋭的な作品です。それは従来のものと断絶して新しい絵画であること示します。絵画としての完成の理念を既存の手段とは全く異なる方法で、提示することができました。点描画やフォービズムは色彩の革新でした。それにたいしてキュビズムは形態の革新です。二つの革新は同格ではありません。キュビズムの方がより根底的な革新です。というのも色彩は絵画において副次的なものに過ぎない(白黒でも全然かまわない)のにたいして、形態は中核です。この形態の革新によって、既存の絵画とは全く異なるアプローチにより、完成の理念を満足させることができることを証明したのでした。キュビズムが芸術作品としての完成の理念を実現できる証明することが、キュビズムの主張の中核なのです。したがって、キュビズムは完成した状態で誕生したのでした。もっとも、キュビズムにおける完成の理念は最初の頃だけであって、最初に証明できたら、あとはそれから離れて、より自由に展開して、そしてまもなく全て出し尽くして、分解して解消してしまうような方向に向かうのでした。キュビズムの最初の頃は良きにつけ悪しきにつけ緊張感がありましたが、やがて緊張感は減衰する傾向が見られます。これもまた良きにつけ、悪しきにつけ、ですが。
Nu assis, 19019- 1910 Picasso
前衛的な初期のキュビズムの作品群はカッコいいものが多いのですが、この作品はそのなかでも特にデザイン的にカッコいいです。芸術作品としての完成の理念も保持することもできます。
Guitariste été 1910 Picasso
絵画として構成上の完成度がより高い作品です。
femme assise dans un fauteuil 1910 Picasso
portrait de Daniel-Henry Kahnweiler, automne,1910, picasso
femme assise dans un fauteuil 1910 Picasso
Jeune fille à la mandoline, Picasso, 1910
今回の展覧会には出品されていませんでしたが、こんなものもいいです。
Broc et violon, 1909 - 1910, Beroges Braque
1911年、キュビズムに文字が追加されて組み合わせられ、より一層の前進、より一層のラジカルさを示すようになります。絵画に文字を入れることは、絵画史上の革新の一つです。(もちろん古くから絵画に文字を入れることはありますが、それらとは違っています)
またそれとともに、形態の解体がより前進し、より複雑化し、既存の完成の理念の希薄化、否定、放棄がみられます。画面の構成は、よりまとまりがなくなっていきます。大人しくチンマリとしたまとまりではなく、完成の理念にとらわれず、より開放的でエネルギッシュで迫力があります。しかし、やはり散乱しがちな面もみられます。また緊張感の減衰の傾向も見られます。
Nature morte à la bouteille de rhum, 1911, picasso
Homma à la pipe, 1911,été, Picasso
Homme à la guitare, Paris, automne, 1911, Picasso
Homme à la mandoline, Paris, automne, 1911, Picasso
I'Aficionado, été, 1912, Picasso.
Violon, verres, pipe et ancre(Souvenir du Havre), 1912, Picasso.
Femme lisant, 1911 Braque
1911年からすでに他の優れた画家たちがキュビズムに触発されて作品を制作しています。キュビズムのいろいろなヴァリエーションを観ることができます。これらは、ピカソとブラックが創始した「結果」から導かれて、あるいは触発されてえがかれたものです。そのため二番煎じとしての展開です。これらは、キュビズムの活用、分流化、分散化であり、展開でもありますが、前衛性は減弱しています。キュビズムは峠を越えて、低落が始まっているのは確かです。それでも観るべき作品があります。
La Noce, 1911, Fernand Léger
とても大きな作品です。
Fernand Léger la Femme en bleu, 1912
合間に
La Ville de Paris, 1910-1912, Delaunay
巨大画です。
キュビズム、文字、記号に続き、ピカソとブラックによる次のラジカルな一手は、コラージュ、パピエ・コレという手法を追加投入することであり、総じてパーツの寄せ集めに変貌します。
しかし、この方向は、一つ一つの作品としての独自性、独立性、唯一性をうしなって、作品としての価値を減衰させているように思われます。なぜなら、どれもこれも似たような作品であり、各作品が横並びになって、種々の有り様の変化があるのみとなってしまって、ラジカルさがラジカルさを失わせる結果となりがちだからです。
La Guitare<<Statue d'épouvante>>, novembre 1913, Braque
1914年頃以降
1914年頃には、ブラックとピカソは、上のパピエ・コレやコラージュと並行して、既存のキュビズムの成熟した作品も制作しています。これらは大人しめの作品となっています。やはりラジカルさを失っているとも見なせるでしょう。絵としては良かったりするのですが、もはや前衛ではないということです。
L'Homme à la guitare, Printemps 1914, Braque
Portrait de jeune fille, juillet - août 1914, Picasso
Homme à la pipe, (Paris, printemps 1914) Picasso
Instruments de musique sur un guéridon, 1914, Picasso
Le joueur de guitare, 1916, Picasso
café-Bar, 1919, Braque
La Musicienne, 1917 - 1918, Braque
Arlequin et femme au collier, 1917, Picasso.
ピカソの場合、キュビズムは1920年代前半もつづきますが、この頃は並行して、具象的な古典主義へと回帰した作品も制作されました。