表参道ソフィアクリニック
1500年代に活躍した、後期ルネサンス期にも分類されます。
息子のルーカス・クラーナハという名前をつけているために、区別するためにルーカス・クラーナハ(父)と呼ぶことがあります。Lucas Cranach the Elder。しかしルーカス・クラーナハといえば、通常はこの父親の方を指しています。美術史の世界では、クラーナハというだけでまずこの画家のことを指しています。日本語ではクラナハ、クラナッハと記されることもあります。
アルブレヒト・デューラーとは1歳違いです。
クラーナハは肖像画家としてはルネサンス期のドイツの最大の肖像画家でした。もっともモデルの理想化をあまりしないようにもしていました。
クラーナハは1505年から50年間ほどザクセン選帝侯に仕える宮廷画家でした。選帝侯の一人、フリードリッヒ賢明公は、ルターの宗教改革を擁護していました。フリードリッヒ賢明公を含めた3代の選帝侯がそうであって、彼らはクラーナハを受け入れました。
ザクセン選帝侯フリードリヒ(フリードリヒ3世)。賢明公、賢公とも呼ばれます。
1463年1月17日 - 1525年5月5日
フリードリッヒ賢明王は、面白そうな人です。以下、ウィキペディアからの引用:
彼は当時の神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世に仕える。1519年、マクシミリアン1世の死に伴う皇帝選挙で候補の一人に挙げられるもこれを辞退、既にスペイン王カルロス1世として即位していたマクシミリアンの孫を推薦して、皇帝カール5世を誕生させた。
しかし、1521年にヴォルムス帝国議会でルターが自説の撤回を拒否し、カール5世からドイツ国内で法律の保護対象外(事実上の国外追放処分)に置かれると、皇帝の決定に反して「ルターを誘拐した」という名目で居城であるヴァルトブルク城に匿った。皇帝カール5世にとってフリードリヒ3世は自らの皇帝即位の立役者である上、当時のドイツはイタリア戦争最中の非常に政情不安定な状況にあったため、皇帝は彼に対して別段の処置を採らなかった。またローマ教皇にとってもフリードリヒはハプスブルク家に対抗するために蔑ろにできない大諸侯ということもあり、表立った圧力が加えられることはなかった。外出も満足に出来ずヴァルトブルク城に篭もりきりの生活は、時としてルターには精神的に辛いものだったようだが、ともかくも身の安全を保障されて、ルターはこの時期に著名な新約聖書のドイツ語訳を行っている。
クラーナハは工房を経営していました。そこでは多くの絵画を生産していました。それを「大量生産」と呼ぶこともあります。大げさな言葉だとは思います。工場での大量生産のイメージとは全然違うでしょう。クラーナハは早く絵画を仕上げるので「素早い画家」とも呼ばれて、それが伝説のようにもなっていたようです。彼は工房での絵画制作を経済活動つまりビジネスとして考えていました。ルーベンスもそうでした。クラーナハの工房での生産物としては版画も重要な商品です。多色刷り版画も手がけていました。また油絵による肖像画部門も重要でした。
1506年
生地のモチーフが綺麗です。独特さはありますが、他のものほどではありません。むしろ装飾的です。かなり魅力的な装飾性です。絵にはあまり意味内容はないように思われます。黒い背景で、全体がとても引き締まっています。
National gallery 2020.1.
1508/09年
ルカス・クラーナハ(父) 聖カタリナの殉教 1508/09年頃 ラーダイ改革派教会、ブダペスト Lucas Cranach the Elder The Martyrdom of St. Catherine c. 1508/09 Ráday Collections of the Danubian District of the Hungarian Reformed Church, Budapest
漫画のようなダイナミックさです。写真では見えにくいですが、聖カタリナの衣装が豪華です。動きがあり、速度があります。それぞれが違う速度で動いてもいます。しかし、クラーナハの作品として知られる多くの作品の中では、このように動きのあるものは稀ではないでしょうか。
1510年ごろ
聖バルバラは、呆然とした表情で斬首されようとしています。そこには表情らしき表情がありません。
無抵抗で、むしろ弱々しくもあり、そしてまた善良そうです。
彼女は、ただ、信仰に生き、信仰のために死に、感情を交えずに、しかし内面では種々の感情があまりにたくさん交錯しつつ、神の元へと至るのです。
彼女は単に弱々しいのではなくて、信念の為に死にます。彼女の場合には、それは同時に神の前で無力であるということを意味しています。神の御心にしたがい、神のために自らの実在、実存、存在を捧げます。彼女は信仰と神のために殉教します。
(メトロポリタン美術館2018年)
1526年
アダムとイブ
クラナッハの代表作の一つであり、充実した作品です。絵画としての面白みと個性を狙っています。これまた、宗教的というよりも、観て面白く、かつ美しい装飾品になるように狙っているようです。それとともにイブのエロティシズムが重要です。イブは若い裸の女性です。人類最初の女性に性的な魅力を感じ、もっといえば性欲を覚えることの、特別な感覚が生じることを狙っています。楽園には性の自由があったはずです。というのも楽園では善悪の判断が芽生える前であり、このリンゴを食べて以降はじめて善悪の判断が生じるのです。罪によって拘束される以前の性の自由なあり方、自由な性行動が予感され、それは自然にも溶け込みます。それは動物たちも同じです。
National gallery,2020.1
この画家の絵のプリミティブな暴力とえろすが現れている作品です。
(ナショナルギャラリ−2018年1月)
クラナッハの典型的な作品です。似たような諸作品の中でも、特に充実して美しいです。クラナッハの良さがわかりやすい作品でした。(2018年1月ナショナルギャラリー)
1525年
ルカス・クラーナハ(父) マルティン・ルター 1525年 ブリストル市立美術館 Lucas Cranach the Elder Martin Luther 1525 Bristol Museum & Art Gallery
国立西洋美術館 (東京・上野)で開催された「クラーナハ展-500年後の誘惑」でも来日した作品です。クラーナハはルターの友人でもありました。
クラーナハにしては、対象を変形せずにバランスのとれて端正な形で描いています。写実的で細かいです。ヒゲも生えていて、髪の毛も一本づつ。陰影も細やかです。この絵は細密画の一種です。クラーナハにしては、癖の少ない表現で、ごくごくまともな絵です。
ルターは生没年が1483年から1546年ですから、クラーナハよりちょっと(10歳くらい)若いだけです。この作品はルターが42歳前後のころのものです。著作『キリスト者の自由』が公表された5年後、バチカンから破門された4年後の肖像画です。
この肖像画から垣間見れるのは、強い意志と正義、内面の充実など、それから少し自己愛も強そうです。ちょっとは虫類的攻撃性のようなところもあります。聖なる人としてではなく、普通の人のように描いています。普通の人を、細密に普通の人として描いています。
ルターは1517年に『95ヶ条の論題』20年にいたるまでローマ・カトリックを批判する文書をたいして幾つか発し、レオ10世によって21年には破門されました。
レオ10世(ラフェエロ)
マルティン・ルターの肖像 (1529年) ウフィツィ美術館 ルーカス・クラーナハ
1472-1553
Martin Luther as Knight George
Oil on wood panel, 1537
ルカス・クラーナハ(父) 神聖ローマ皇帝カール5世 1533年 ティッセン=ボルネミッサ美術館、マドリード Lucas Cranach the Elder Emperor Karl V 1533 Museo Thyssen-Bornemisza, Madrid
嘘のように伸びて曲がった細長い顔です。偉大さを表現しているのではなくて、普通の人のように表現しています。全く豪華さを感じさせません。力強いというよりは、神経質で性格的に歪みでもあるのか、口の歪みにも表れています。ひ弱そうでにも見えます。吊り下げられているのは犬の模型でしょうが、これは何を意味しているのでしょうか。ただ、目はかなりきついです。
この作品はカール5世によって注文されて制作されたのでしょうか?
ティッツィアーのいくつかのカール5世の肖像画とはだいぶん傾向が異なります。
カール5世の価値を引き下げるような意図もあったのかもしれません。
1528年 パリスの審判
構図、緻密さ、丁寧さ、そして描写がかなりいい作品です。修復の影響もあるのかも知れません。
三美神のグラデーションはとくに優れています。そして、装飾品の類い、葉っぱの描写は特に印象的です。独特の形象でありながら緻密です。この絵の中で画家本人が描いたのは、三美神でしょうか。例えば葉っぱは工房で弟子が描いたものでしょう。
クラーナハの諸作品の中では、比較的奇妙さが少なくて、最も緻密に描かれています。
中央の男性は、伝令の神メルクリウスであり、水晶玉を手にしています。水晶玉は黄金のリンゴのかわりです。彼が眠りから目覚めたパリスにビーナスをはじめとした三美神に引き合わせています。
クラナッハ風の独特の雰囲気はあります。内容はそんなにあるとも思われません。変わった絵です。クラーナハにしては充実した描き込みです。
メトロポリタン美術館展 国立新美術館 2022年2月~
1530年
しかし、激しい暴力の余韻は首以外にはほぼ感じられません。
ジュディスは、クラナッハが女性像を描くにあたって非常に熱心に取り組んだモチーフです。しかし若干マンネリ化してなくもありません。いつものテーマのように。
やさしさ、優雅さ、残忍さ、正義と暴力、静けさと動き、上品と野蛮などが共存しています。うつくしいです。相反する側面を女性像に求めているのでしょう。
77歳の自画像。
蛇の紋章
クラーナハは1505年から50年間ほどザクセン選帝侯に仕える宮廷画家でした。選帝侯の一人、フリードリッヒ賢明公は、ルターの宗教改革を擁護していました。フリードリッヒ賢明公を含めた3代の選帝侯がそうであって、またクラーナハを受け入れました。
蛇の紋章は1508年ザクセン選帝侯から贈られました。この蛇はコウモリの翼、冠、ルビーのついた指輪をくわえています。クラーナハの多くの絵画でこの紋章が記されています。この自画像では左肩の上方に書き込まれています。