表参道ソフィアクリニック
ストア派は紀元前300年頃にキプロス島出身のゼノンが創始したとされギリシアのアテネに拡がり、その後伝播してローマにおいて発展し、セネカ、エピクテトス、マルクス・アウレリウスなどがいます。これを後期ストアと呼ぶこともあります。マルクス・アウレリウスはその最後の代表的な論者です。およそ400年続いた思想です。
ストア派の思想は、3つの分野に分けられることがあります。自然学、論理学、倫理学です。ローマのストア派においては、倫理的な問題(いかに生きるべきか)のほうにより重点が移って、自然学、論理学のほうは比重が軽くなる傾向もありました。
ストア派哲学では、自然学の研究が重要視されていて、セネカもまた自然や宇宙の本性を語ります。しかし、これは天体その他の自然を個別で調査する自然科学的な研究ではありません。形而上学思想の古代的な比喩表現でありつつまた詩的表現です。また人間の存在を考察するものであるので、存在論でもあります。それとともに自然にかなった日常生活をいかに送るべきかというストア派が最も力を入れた実践哲学、倫理学でもあります。倫理学がストア派において最上位にあります。自然にかなっているというのがポイントですが、これが論理にあたります。
ストア派哲学全般の自然についての考え方は多様でもありますが、いくつかを参照して自分なりにまとめると次のようです。
宇宙は、大きく分けて二つからなり、一つは質料hulé(物質)であり、もう一つは質料に内在する原理であるロゴスからできています。質料は外部に対して受動的な存在様態です。それにたいしてロゴスは能動的な力、宇宙の理性的な力であり、それは質料のなかに種子のようにとどまり続けます。このロゴスは神と同一視されています。この理性的な力の必然性の側面が、運命となって現れることもあります。
原初において、ロゴスが存在様態として分化すると四元素(水、空気、水、土)が形成されます。宇宙全体は球体をしていて、各部分において四元素の比重が異なっています。四元素のあいだには階層があって、最上位が純粋な火(エーテル)があり、これは円環運動をするという特性を持ち、太陽や恒星の世界を司っています。月は、水と土と火でできています。人間もまた魂のなかにロゴスを宿し、人間はそのロゴスに正しく従うべきであり、この本来の自然に沿った生き方をすることが正しい生き方であると主張されます。因みに、魂のなかのロゴスは、月で火が空気と混じり合い、理性的な気体(プネウマ、ラテン語のスピリトゥス)が作られ、これが人間という物質存在のなかに入り込んで魂として宿ります。こうして魂を備えた人間が誕生します。こうして人間は、自分のなかにある魂のロゴスに従って本来的な生活を送るべきなのです。
そもそも、ロゴスや四元素は神的ではあっても、無機的で非人格的です。神であるとともに人格として開花し生命として生き生きするのは、世界の存在の末端の物質的な諸現象の世界においてです。あらゆる動植物そして人間も、生き生きとした活動のなかでロゴスを宿しています。
人間のそれ以外の情念である欲望、快楽、苦痛、恐怖などは、人間が魂本来の生を送らないことに起因する過剰な衝動性ですが、これらは本来的な生の写し絵です。これらは本来的な生を希求するものですが、この衝動に従う非本来的な生き方に浸りきると、その中で循環が生じてひとつの世界を形成してしまい、生き方を見失い、この世界から抜け出ることが難しくなります。
心の平静(apatheia)は、自然のロゴスに寄り添いながら本来的な生をおくるなかで得られます。
ストア派の神は、ダイモーンです。これは自然であり、理性であり、霊魂であり、人間の内面において住まってもいる、とされています。それはときには、いささかなりとも具象性を帯びて民衆の神のようなものであったり、抽象的な理性や論理の神であったりします。
ローマではストア派もエピクロス派も受容されましたが、エピクロス派はおもに比較的富裕な貴族や文人などの一部に受容され、ストア派はローマの一般市民を含めて幅広い層で受容されました。
ローマのストア派は後期ストア派と呼ばれることもあります。