表参道ソフィアクリニック
1887年(明治20年)生 - 1931年(43歳)没
略歴
現在の大阪市中央区に生まれる。生家は「天水香」で知られた薬舗積善堂。市岡中学校(現・大阪府立市岡高等学校)卒業後、東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科に入学。2年後に本来志望していた西洋画科に転科し、1914(大正3)年に卒業、大阪に戻る。1915(大正4)年、再興第2回日本美術院展に《山の初夏》が初入選。1919(大正8)年、第6回二科展に《Nの家族》を出品し樗牛賞を受賞。翌年の《少女お梅の像》は二科賞を受け二科会友に推挙された。1921(大正10)年から翌年にかけて欧州遊学。1923(大正12)年には二科会員となり、また大阪市美術協会会員となった。1924(大正13)年に鍋井克之、国枝金三、黒田重太郎と信濃橋洋画研究所を開設して指導にあたるほか、美術誌『マロニエ』の編集にも携わる。1926(大正15)年、芦屋に転居。アトリエを新築して裸婦や静物画、ガラス絵に新境地を拓くが、持病の心臓病の発作で43歳で急逝した。
Nの家族 1919年作品 大原美術館蔵
32歳頃の作品
Nとは楢重のイニシャルです。画家本人、妻と子どもです。
手前には、ハンス・ホルバインの画集が置かれています。
この作品は、二科展に出品され、新人賞に当たる樗牛賞を受賞しました。これによって世に出るようになりました。32歳であって、画家としては、なかなか日の目を見ずに、かなり遅い出発とも言えるかもしれません。
このあたりの時期つまり1919年から1921年ごろは小出楢重の全盛期と見なせそうな時期です。そのきっかけにもなったのがこの作品です。
個性的にして、力強い作品です。
それまでの、どことなく、今ひとつだったのが、本気を出して描いたような印象も受けます。
少女お梅の像 1920年
これも二科展に出展されて、二科賞を受賞しました。
これもまた「Nの家族」の画風を引き継いでいます。
その後は、この画風にとどまらずに、画風を変えながら展開していきます。
1928年 卓上静物
対象を変形しながら図案化して表現し、濃厚な油絵の塗り重ねによって、個性的にして印象的な作品となっています。