表参道ソフィアクリニック
指揮:マレク・ヤノフスキ
シューベルト/交響曲 第8番 ハ長調 D. 944「ザ・グレート」
第1楽章
この交響曲はシューベルト的な歩みが顕著にみられます。第1楽章もそうです。それはまとまりがないようであり、やがてまとまったりもします。散乱から統一へと至るかと思えば、また散乱に至り、揺れ動きながら反復します。この離散と集合は第2楽章でも同じです。
この散乱のなかでの騒ぎはカーニバル的にもなります。ベートーベンの交響曲では農民のお祭りといった感じもありますが、ここでは民衆のカーニバルというほうが適しているようにも思われます。
また、モーツァルトかベートーベンか、という問題からすれば、この作品ではだいぶんベートーベンに寄っています。ベートーベンの交響曲第7番(第2楽章)も織り交ぜられ、終わり方もそれとかなり似ています。これは苦難の歩みを表象するものでもあります。
また、人々が集まり、団結をする、というのは人間のDNAにも組み込まれているものであります。それを描いているという側面があります。これが街頭で民衆が集団で行動するというようなイメージも含まれています。しかし、このイメージが古くさくさえも感じられ、いまや人々はSNS等を通じてつながり合っていたりするものです。この集団というか民衆というか、その表現の仕方についてしっくりこないところがあります。
第2楽章
これでもかというくらい反復で、ずっと付き合わされているような感じがします。まるで煉獄のようです。結局新しい事柄の出現の効果は現れません。最後は宣言のようなファンファーレで終わります。
第3楽章
リズミカルに一層のまとまりから出発します。軽くて、上滑りの傾向です。反復的なヴァリエーション。なおもカーニバル的な傾向が引き続いていますが、やはり反復が凄いです。深みがでる訳でもなく、横滑りのままです。そして「完成の理念」が提起されて終わります。
第4楽章
この楽章は「完成の理念」からはじまります。個々人の歩みは団結の歩みとなり、躁的なくらいの勢いです。なかなかそれも辛いものがあります。個々人の歩みがより大きな集団の歩みになるのは、この交響曲の特徴であって、「歩みの交響曲」とも呼びたくもなりますが、ただこの歩みに付き合わされるのもいい加減うんざりしてきます。そして反復的なヴァリエーションが続き、空回りしてしまいます。結局単線的であり、集合と離散の単線的なヴァリエーションとなっています。人々は歩みながら、離散と集合を繰り返しながら、最終的には大きな集合を形成します。「完成の理念」が完成したことが提示されます。こういった完成の理念はベートーベンと比肩するほどに打ち出されているようにも思われます。しかし、何も新しい効果が提示されていないようです。
令和4年5月 N響 東京芸術劇場にて