表参道ソフィアクリニック
Pablo Picasso
個人的なことですが、小学生の低学年だったか、地方都市のデパートでピカソ展があって、父親に連れられて見に行ったことがあります。結構たくさんありました。たしか展覧会のカタログも買いました。ピカソはこんな絵を描くという今日のイメージの通りの作品が並んでいたと記憶しています。
また1973年にピカソが死去したという報道をテレビで観たことがあります。亡くなっているのが朝に発見された、と。
いまウィキペディアでみると生涯でおよそ1万3500点の油絵と素描、10万点の版画を制作していたとのこと。もの凄い多作です。
ピカソの早熟ぶりを表しているとみることもできるでしょうが、しかし、19世紀末としては、アカデミックであり、すこしありきたりな印象も受けます。まあ、中学3年か高校1年生ですから、いきなり前衛芸術を描けば、気持ち悪いです。アカデミックな絵画を描くのが、自然です。
le père de l'artist
父親は工芸学校美術教師でした。ピカソが15歳頃の作品です。
au musée de Picaso en janvier 2019
Science et charité
ピカソが16歳頃の作品。
この医師は父親に似ています。修道女のほうは、母親の肖像に似ていますが、はっきりしません。
au musée national de Picaso en janvier 2019
1900年に初めてパリを訪れたピカソは、その後4年近くバルセロナとパリを往復する生活を送りました。1901年以来、後に「青の時代」と呼ばれた3年程の期間のなかで、ピカソはそれまで制作したカンヴァスを何度も塗り替えて模索を繰り返し、青を主調色に深い精神性を纏う重厚な作品を制作しています。
1902年 《酒場の二人の女》
ひろしま美術館
1902年 《海辺の母子像》ポーラ美術館
盲人の食事
短命な「青の時代」の典型を表す代表作の一つです。目の見えない男の幸いでさえある触覚を通じた現実の造形世界。これは芸術家のあり方と呼応さえしています。真実を知るには、視覚を通じてではなく、いったん視覚を失い対象の本質を知らなければならないという主張も込められているような気もします。そして真実のためには、金のためではなくて、パンを食べるような生活を送るという清貧の思想も含まれていると思われます。18世紀後半からの前衛的な画家たちは、しばしばひどく貧乏でした。もっともピカソはやがて大金持ちになりますし、こういった清貧とは縁遠くなりますが。しかし、このツボを把握しようとすることは、今後のピカソを予示しています。
また、この人は目の窪みからして、生まれながらに目の見えなさそうな人ですが、そのような人が触覚で物の形を把握して、視覚的イメージを構築しようとすることは、画家ピカソにとって驚異だったのでしょう。この盲人は生まれながらにして盲人の画家なのです。
(The Metropolitan Museum of Art, 2018)
1903
L'Étreinte
Pastel
オランジュリー美術館2017年1月より。
étreindreの過去分詞形。強く締めること、抱擁、交尾、交接という意味です。
女性は妊娠しています。男と女が抱き合いつつ俯(うつむ)いています。子供の方を向いて俯いているかのようです。また二人で泣いているかのようでもあります。なぜ二人はうつむいているのでしょうか。二人の子供でしょうか。女は男にお腹を押し付けています。弱いもの同士が寄り添って。男には守るべき力強さが乏しいようにも見えます。底辺の人でしょうか。
ピカソの父親と母親と子供のシリーズの一つでしょうか。それをシリーズとみなしても良いのでしょうか。ピカソの中では、父親と母親と子供というのは重要なテーマであったろうと思われます。
描かれている内容は原因でもあり結果でもあります。顔や体の変形は、素朴であるとともに見事です。キュービズムの先駆けであり、キュビズムに向かう一つの重要な局面です。力強くて、新たな時代の主張と宣言にさえなっているようです。そのことは女性たちのポーズに力強く現れています。
曲線よりは尖った線であり、おそらく攻撃的なほどです。目は狂気にも満ちています。手前の男らしき人物は、ミノタウロスの雰囲気も漂ってさえいます。
色彩は絶妙な感じです。
( 2018年MoMA)
これもキュビズムの一つの重要な局面を表します。
( 2018年MoMA)
ピカソは1904年にパリに定住し、ブラックとともに前衛芸術に身を投じ、幾何学的に対象を分析して再構成するキュビスムを生み出しました。はじめは《裸婦》のように、人物を鉱物の結晶体のように描くなどしていました。しかし1912年以降、平面の重なりやモチーフの組み替えによって、静物から人物へと主題を変えて、実験的な手法を続けました。
1909年6月から9月まで、ピカソはカタルーニャ州の山村あるオルタに滞在し、幾何学的な作品の構想を深めました。はじめは風景が、次に同行していた恋人を描きました。またこの村で信仰の対象となっているサンタ・バルバラ山と一体化するような人物像を描きました。こうしてキュビズムを確立する道を歩みました。
1913年 葡萄の帽子の女
小品ながらまとまった作品です。
機械的ですが、木の雰囲気が多いです。金属は鉄というよりブリキのようです。ですからブリキと木でできた機械のようです。ピカソのキュビズムの絵画に見られる素材の特徴とはそのようなものかもしれません。
1921年 母子像
割と大きなサイズです。製作期間はとても短かったと思われますが、とても絵になっています。ピカソの古典期には母子像が主要なテーマの一つであったとも思われます。キュービズムの時代には母子というテーマはほぼなくて、あってとしても全く異質なものであったでしょう。
Bunkamuraポーラ美術館展2021年
Grand baigneuse
古典主義的で堂々とした作品の一つです。堂々たる体格(ピカソのこの古典主義の時代の特徴です)。クリアな瞳。かすかな微笑。希望が見られます。モナリザの微笑よりも清々しいです。
コントラストが高いです。濃厚な厚塗りと色調。重量感があります。
オランジュリー美術館2017年1月,2019年1月より。
Arlequin assis
結構大きなサイズです。
写実、省略、変形、構図、色彩、表情など、巧みに描かれています。
au musée national de Picaso en janvier 2019
Femme assise sur la plage
古典主義の延長で、創造性の爆発が生じます。突然のように異形の女をつくります。
au musée national de Picaso en janvier 2019
Grande baigneuse au livre
au musée national de Picaso en janvier 2019
La Danse
ピカソの古典主義の時期のさなかにも、このようなメタモルフォーゼの度合いが強い作品がすでに作られていました。しかし、後の典型的なメタモルフォーゼとは、異なります。典型的な方は、プリミティズムもキュビズムも組み合わせられたようなメタモルフォーゼです。
この作品では、具象の範囲にとどまりつつ、具象的なものを抽象化するときに現れる凄みがみられます。生命の発露とその低下、そしてデモーニッシュな側面もあります。全体としては生命の賛歌と死が混合しています。そして、この三者は、三者三様の有り様でそれを体現しています。
au musée national de Picaso en janvier 2019
Portrait de Dora Maar
生命力のある色と形のメタモルフォーゼです。
このタイプの絵の中でもとても良いと思います。
キュビズム、プリミティズムも入っていると思います。指の爪が尖っているのは何でしょうか。
au musée national de Picaso en janvier 2019
Femmes à leur toilette
巨大画です。作品としては、はたしてどれほど名作の部類に入るかは疑問ですが、この時期のピカソのメタモルフォーゼの特徴が現れているとともに、過去の技法であるpapié collé(紙の貼り付け)が組み合わせられています。このように過去の技法は完全に消えたのではなくて、適宜、採用されることがあります。
au musée national de Picaso en janvier 2019
戦後は、ある意味明らかに描き方が雑になっている麺もあります。
ピカソは過去の巨匠たちのオマージュのような作品群を描いています。
・ドラクロワのアルジェリア人
・プッサン
・マネ『草上の昼食』
・ベラスケス
ピカソにとって母と子というテーマは重要です。また父と子、あるいは父母と子という組み合わせも重要です。
ものすごく変更に変更を重ねています。書きながら考えるスタイルなのでしょう。
ただこの描画はデモンストレーションであって、試行錯誤して考えながら描くことを誇張しているようです。