表参道ソフィアクリニック
ピーテル・パウル・ルーベンス
蘭: Peter Paul Rubensオランダ語: [ˈrybə(n)s]、1577年6月28日 - 1640年5月30日
日本語ではペーテル・パウル・リュベンス、ピーテル・パウル・リュベンスなどと表記する場合もある。
1577年生
・ルーベンスは人文主義的教養に通じていました。観るものにもそのような教養を持つたちもふくまれることを想定していました。とくにパトロンや注文主がそうでした。
・題材は、新約聖書、旧約聖書、古典古代(とくにギリシア神話)からとられています。つまり宗教画、神話画が多いです。それらも含めて、歴史画が主要なジャンルです。近代のアカデミックな西洋絵画のヒエラルキーでは、最も高い地位にありました。
・自然と神と歴史が織りなす人間ドラマです。
ルーベンスは大規模工房を経営していました。そこには多くの弟子や助手たちがルーベンスの統率のもとで仕事をしていました。ルーベンスは自分で作品を構想して、弟子や助手に描かせ進めさせておき、最後に自分で仕上げを行いました。
このように、ほかに例がないほど制作システムを効率的に発揮していました。ルーベンスとその工房は大量の注文をさばくことができました。
また動物、風景、静物を専門とする画家たちに外注することもありました。個々の画家はルーベンス風に描くと言うよりは、自分の作風で描きました。それは異質な要素でありながらも、画面の総体の中に位置づけられて、調和し、一つのまとまりのある絵として仕上がるのでした。
・餓死の刑にて牢につながれた父親キモンのもとをその娘ベロが訪れ、飢餓状態にある父親に乳を飲ませて飢えを凌がせています。父親への娘の孝行や慈悲を表しています。
・これを見た当時の中年男子にとっては、セクシュアルなニュアンスと家父長制とが密かにリンクしてさぞ魅惑的でもあったことでしょう。しかも、通常の性的願望ではなくて、近親相姦的です。近親相姦願望を密かに呼び起こさせるものであり、またそういう場面を観る好奇心を呼び起こすものであります。表向きは、セクシュアルなものはないことになっていましたが。それだからこそこの絵画は公衆の前に掲げても許されていたのです。それどころか慈悲を表すものとして高く評価されるのです。しかし、おそらく実際にはプライベートな用途に用いられていた可能性があります。つまり、個人の部屋に飾られて、それなりの裏の意味を十全に発揮していた可能性があります。
・このキモンは全然まだ痩せお捉えておらず、筋骨たくましく充実した肉体であることも注目です。これも男性の願望を表しています。これを観る男は、このたくましい肉体を持つキモンに自らを同一化させるのです。
・娘ベロの方も美しく豊潤であり、当時では大変な美人とみなされたことでしょう。
・これも一種の豊穣を表しています。
・荒れた大地に恵みを与えます。
・家父長制との関連。
・娘が自己犠牲的に父親に自らを捧げるという一つの定番です。
・フロイトとブロイラーの『ヒステリー研究』のアンナ・Oの症例では、アンナは病気の父親の看病を続けることが、発症と関係していました。
(ルーベンス展バロックの誕生国立西洋美術館2018年秋)
油彩/カンヴァス ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション
顔の形がゆがんでいます。これは、右下から眺めたときにちょうどよいようになっているようです。設置場所を考慮しているが故でしょう。
物語は、アッテカの初代王ケクロプスの娘たちが、大地の女神ガイアの子エリクトニオスを発見したところです。この赤子は、蛇の尾をはやしているのが見えます。
画面左には、自然と肉欲の神パンの胸像を乗せた柱があります。画面右には、複数の乳房を持つガイアをかたどった噴水が見えます。乳房からは乳が出ているような噴水です。
神秘とデモーニッシュが混じったような自然です。自然と文明の結合。そして豊穣です。
(ルーベンス展バロックの誕生国立西洋美術館2018年秋)
ルーベンスの比較的丁寧で充実した作品の一つです。コントラストが高いです。
National gallery, 2020.1
毛皮の女 1635−40年
毛皮の女
<ウィーン美術史美術館にて>
この作品はルーベンスの自画像の横に展示されていた。
この肖像はルーベンスの2度目の妻エレーヌ・フールモンHelena Fourmen (1614 - 74)である。二人が結婚したのは1630年、ルーベンス53歳、エレーヌ16歳の時である。年の差は37歳。親子ほどの年齢差あるいは祖父と孫ほどの年齢差がある。この絵が描かれたのはその5年後から10年後の間であり、ルーベンスの晩年である。
この絵画はプライベートな作品だったようだ。エレーヌはヴィーナスに扮している。
ほんのり赤く上気した頬、右手で毛皮をつかんでいるが、その腕は乳房を抱えるようになっているので、乳房が上向きになっている。今風で言うところの寄せて上げて。左手では下半身を隠すように毛皮を押さえている。たるんでぶよぶよの肉体。ルーベンス風の女性像、ルーベンス風のエロティスズム。妻を女神にまで高めるとともに、遊びの絵でもある。
これは、17世紀の美術理論家ベッローリがルーベンスの絵を説明した言葉です。素早く熱狂的な筆遣い。
同時代の美術理論書においては、ルーベンスの絵画は、しばしば「普遍的」という言葉で説明されていたとのこと。ここでの「普遍的」とは、統一的、総合的な性格のことです。様々な事象が全体として生き生きとして美しくみえます。
(ルーベンス展バロックの誕生国立西洋美術館2018年秋)
左右で一対となっています。
(ルーベンス展バロックの誕生国立西洋美術館2018年秋)
ヘラクレスは、ヘスペリデスの園から黄金のリンゴを持ち帰ります。
・ダイナミックで豪快な描きぶりです。筆触は柔らかいです。
・力に満ちた男性像です。
・ライオンの毛皮と竜が見えます。
・対作は、ヘラクレスの妻です。面白そうな物語です。「噂」の擬人像がヘラクレスの浮気の噂をささやいています。妻はじっと「噂」に聞き入っています。魅惑と嫉妬で、釘付けになっています。全身が身もだえするような。この「噂」に起因した嫉妬が原因でヘラクレスは命を落とす運命にあります。強大な怪物を倒す無敵の英雄が、女の情念によって滅ぼされるのです。いかでか、女が英雄の内面から精神を崩壊させ運命を狂わせることか。
・それはシェークスピアのオセロとデスデモーナの物語も想起させます。
・ルーベンスの素早い熱狂的な筆触が効果的に表れています。
・豪華な一品です。
・下の「ファルネーゼのヘラクレス」への強い関心から発して、この作品に結実しています。
(ルーベンス展バロックの誕生国立西洋美術館2018年秋)
ルーベンスはファルネーゼ家に伝わるヘラクレス像を観て魅了されました。
上の作品よりは、こちらの方が引き締まった肉体です。ルーベンスの方は脂肪がつきすぎています。それは意図的なのでしょう。ルーベンスの作品に登場する男女は、大抵豊満ですが、男もすこし太り気味です。
・ドラマティックです。聖アンデレは十二使徒の一人です。これは聖アンデレが磔にされている場面を描いています。周囲には大勢の民衆が彼の説教を聞いています。彼が死刑になることに怒った住人に促されて、ローマ総督は縄を解こうと指示をしました。しかし聖アンデレはそれを拒みました。そのとき天から光が差して、彼は光に包まれて昇天しました。この絵の場面は、今まさに昇天する時がやってきた時です。彼は懐かしく焦がれる天を仰ぎ見ています。
・向かって右側の馬上の男はローマ総督。総督を仰ぎ見て訴えかけているのはその妻。聖アンデレの助命を嘆願しているのでしょうか。向かって左側の黒い服に身を包んだ女性は聖アンデレの妻です。
・人間と神が織りなすドラマです。人間のドラマ。
・X字構図であり、またダイナミックです。
・生と死の境目の描写。
・馬の描写も優れています。迫力があります。底知れぬ闇をうかがわせるような描写です。
・天からの光
・ルーベンスは演出家、コーディネーターとしても優れています。
・天からの光、光に包まれた頭部あたりのダイナミックな描写は、エル・グレコの絵画を思わせます。
(ルーベンス展バロックの誕生国立西洋美術館2018年秋)
1638-1640年ごろ
上の画像は超細密なも。
ルーベンス晩年の作品。
< ウィーン美術史美術館にて>
ルーベンスの描く肖像画はなかなかのものである。この場合は肖像画である。伸びやかに、生き生きと柔らかく、そして緻密に描かれている。この画面の中で目元が特にしっかりと明瞭に描かれている。
画風としてはヴァン・ダイクのもののようにも見える。
画家は剣のつかのあたりに手をやっている。立派そうな剣である。また服装も立派である。黒い帽子や服のグラデーションも繊細に描かれている。
貴族的であり、騎士的であり、そしてこの作品の前面には出てないが、成功者であったればこそ、このような立ち居振る舞いができる。
目元には人生の哀しみが滲んではいるものの、レンブラントのようなものでもない。すでに老齢に近づきつつあり、当時の平均的な寿命からすれば、そろそろ人生の終焉を迎えるくらいの年齢である。その表情をよく見ると、死の影も忍び寄っているようである。とても立派な服装でありながらも死へと向かう存在であることを認めているようである。ここにはvanitéもあろうかと思われる。
この作品は一見立派な自画像であるが、二重性があると見るべきであろう。
彼は外交官としてハプスブルク家ネーデルランド総督につかえた。また英国王チャールズ1世から貴族の爵位を与えられている。こういったこともこの作品の立派そうな雰囲気に描かれている理由の一つになっているか。