表参道ソフィアクリニック
1488/90 - 1576
90歳近い長寿でした。
・ジェンティーレ・ベッリーニ、ジョヴァンニ・ベッリーニ、ジョルジョーネのもとで画業を積んだ。ジョルジョーネは兄弟子であった。
・ミケランジェロやラファエロの諸作品からも学んだ。
・ジョルジョーネふうの画風→盛期ルネサンスの影響を受けた古典的が画風→こった形態の見られるマニエリスム風、晩年の様式、というふうに次々に変転しながら、そのいずれの時期にも傑作を生み出したと評価されます。ただ、このように明瞭に時期の区分が出来るのかどうかは疑問です。
・カール5世、フェリペ2世の宮廷画家でもありました。
・ティツィアーノは同時代の人々からダンテ・アリギエーリの著作『神曲』からの引用である『星々を従える太陽』と呼ばれることもありました。
・当時のヴェネツィア絵画をローマに並ぶものにまで引き上げた(当時フィレンツェは衰退傾向)。
・ヴェネツィアではティツィアーノが一人勝ち状態であったため、他の優れた画家がヴェネツィアから流出したりもした。
・のちに「ラファエロの美しさとミケランジェロの迫力を持つ」とも評された。
ジョルジョーネと区別がつかなかったり、それからの大きな影響がみられます。優美な色彩、ダイナミックな構図と演出、光と影の効果、そして古典主義的特徴がみられ、それらが高度の次元で総合されています。
『男の肖像』
1510年 ナショナル・ギャラリー
ジョルジョーネの肖像画に似ているとされていますが、より優美で、描写力がより向上しています。
『田園の合奏』
1510年頃
ルーブル美術館(パリ)所蔵。かつてはジョルジョーネの作品とされたが、 現在ではティツィアーノ作として展示されています。
ジョルジョーネが1510年にペスト感染で早世して、ジョルジョーネが描いてい本作を途中からティツィアーノが引き継ぎ完成したとも考えられます。
パラティーナ美術館にて。
公認ガイドによれば、彼の若い頃の作品としては最も有名なものの一つだとのことです。構図が非常に良いです。後ろの人物が前の人物の方に手を置いて、それに対して振り返るなどのシチュエーションも、とても自然に絵になっています。ただ、実物を見ると細部の表現はあまりうまくいっていないようにさえ思われました。
1513年レオ10世から教皇の宮廷に来るようにという大変魅力的な誘いを断って、ヴェネツィア共和国の公認の画家(「仲買人特権」という)になることに志願し、1517年に与えられました。
『フローラ』
1515年頃
ウフィツィ美術館
この時期(初期)には、しばしばティツィアーノは、富裕な注文に死に現世の愛を暗示するために象徴的イメージとしての女性像を描いていました。『フローラ』はその代表例です。これは肖像画ではなく、古代風の人物であり、古代ローマでもっとも人気があり奔放だった祭りの主役「娼婦フローラ」を関連付けられた寓意です。
「聖愛と俗愛」ローマ、 ボルゲーゼ美術館 蔵
1515年
ここでも古典主義的であり、また古代への関心もみられます。
左から着衣のヴィーナス、エロス、裸のヴィーナスです。二人のヴィーナスはふたつの愛と美のあり方を表しています。着衣のヴィーナスは、地上の愛と美です。裸のヴィーナスは天上界における愛と美です。後者は永遠性と聖性を備えたイデアです。ですから着衣のヴィーナスはイデアの写しです。また着衣のヴィーナスはイデアに至るためのプロセスでもあります。こうして着衣のヴィーナスを見ると美と愛のイデアを回想するのです。
この作品は注文主ヴェネツィアの貴族ニッコロ・アウレリオの結婚式を記念して注文された作品です。着衣のヴィーナスは、花嫁ラウラの肖像画ではないかと推測されています。花嫁ラウラを愛と美のイデアを回想させるような存在として讃えていると思われます。
天上のヴィーナスが手にしている壺に炎がともされて煙が出ており、これは赤い衣とともに愛を表し、それにたいして地上のヴィーナスは、固く閉じられた壺を手にするとともに白い服を着ていて、これらは貞節の象徴となっているのでしょう。手にしている花はミルテであり、当時は結婚の象徴だったとも言います。
BRAVO
1515/1520年
<ウィーン美術史美術館にて>
物語や背景はわかりません。狭い空間で赤色の暗殺者が腰から短剣を抜きつつ男の方に手をかけています。この若い男を殺害しようとしています。若い男はそれを察知して、右手で柄を握って剣を抜こうとしています。どちらが先に相手を倒すか。若い男の方が不利のようです。
為政者はこういった暗殺をすることもあり得たが故に、想像力を掻き立てるものであるために、こういった絵を好み購入したのでしょうか。
Bravoとは雇われた刺客の名です。
狙われた若者は頭部には冠のようにして葉をつけています。なんの植物なのか意味があるのでしょうが、正義の意味も含んでいるのでしょう。
暗殺者はいきなり刺すのではなくて、手をかけて気づかせてから殺害しようとしています。これはなぜ殺害するのか、若者に分からせようとしているからでもあるのでしょう。それは雇い主の意向を知らせてもいるのです。この絵を観るものには、それはわからないのですが。
また、頭部に葡萄の葉をつけていることから、これはバッカスであるとも考えられます。テーベ王がバッカスを捕まえようとしている神話を描いたもともされます。これによればこのあとテーベ王は八つ裂きにされることになります。
この十字架の表現に説得力があります。
『聖母被昇天』
1516年 - 1518年
サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂(ヴェネツィア)
初期の代表作のひとつ。優美な色彩、ダイナミックな構図、光の効果とともに初期の古典的特徴がみられ、それらが総合されています。
完成に2年かかった大作で、躍動的な三階層の構図と色彩構成が、ティツィアーノをローマ以北でもっとも傑出した画家の一人という評価を定着させました。ダイナミックさ、色彩、明暗の強調によって、当時、人々の熱狂を持って迎えられました。その一方で、使徒が粗野で荒々しく描かれているという依頼主のフラーリ修道院長の否定的な意見もあったようです。
キリストは自らの力によって昇天した(Ascension)のに対して、マリアは神によって引き上げられました、つまり被昇天(Assumption)です。天上では父なる神が両手を広げています。その脇の天使は冠を持っているので、被昇天の後に聖母戴冠が行われることになることを暗示しています。
マリアは空中に浮いているのではなくて、雲の上に乗って歩いているという動きを示しています。
使徒たちや天使たちは力動的で力強いです。使徒たちの描写はミケランジェロの影響を受けているようです。
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教会内では、上の写真のように、巨大画であるこの一つの作品を中心に据えて、その周りは構築物を築いてとても大きな演出を施しています。
ふつうの女性として描かれているマリアの崇高な人間性が描かれています。彼女は雲の上を自らの力で歩いています。その点が感銘を受けます。絵画全体ではあまり伝わらないのですが、この大がかりな演出が、それを効果的に引き出しています。超然とした神聖なマリアではなくて、人間としての崇高なマリアに感銘を受けます。マリアには光輪がありません。
ちなみに現地では実物の絵画は展示されておらず、
下の作品は、上の主祭壇の絵画にむかって左側にあるティツィアーノの作品です。主祭壇の者と比べるとだいぶん地味な設置のされ方です。
≪ 聖会話とペーザロ家の寄進者たち(ペーザロ家の寄進者たち) ≫
1519-26
| 485 x 270 cm |
サンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ聖堂、ヴェネツィア
聖会話の絵は伝統的に、聖母子、諸聖人、寄進者を描きますが、ここではそれに変更を加えて、寄進者一族の集団肖像画にもなっています。
中央にいるのは聖ペテロ。修道僧をきて両手を広げているのは、聖フランチェスコ(両方の手掌に聖痕がみえます)。
手前の向かって左手側には寄進者であるペーザロ、右手側には寄進者の一族です。
この作品は、ヴェネツィアがトルコ軍に勝利した記念としてキプロス島司教ペーザロがティツィアーノに依頼したものです。寄進者であるペザールがマリアに、勝利した感謝の気持ちを祈りとともに捧げています。ペテロはペーザロに暖かい目差しを注いでいます。マリアもペーザロを見つめて、この祈りを聴いています。またイエスは聖フランチェスコと寄進者たちを視ています。
あるいはペーザロとその一族は、マリアもイエスも見えずに、宙を見ています。ペテロや聖フランチェスカといった特別な聖人はマリアもイエスもみることができます。直接話すことができません。ですから、彼らを通じて、コミュニケーションをとることが出来ると言うことなのでしょう。聖会話はメディエーターを介します。
1520 portrait d'homme avec une main à la ceinture
聡明な人を描く優れた肖像画です。静止しつつ、背後に精神的なものがひかえています。クリアな目をしています。
ルーブル2020
鮮明で明るいです。
バッカスが地面に降りる瞬間なのか、宙に浮いています。これはダイナミックであると共に、固まって止まっている様にも見えます。画面全体としては、ダイナミックに見えるのですが、静止している様にも見えなくもありません。全体に、描写が硬めかもしれません。
鳴り物があって、騒々しい場面を描いているのでしょうが、音のない世界でもあります。
なかなかいい感じの作品でした。
(ナショナル・ギャラリ−2018年1月)
これはバッカスが、恋に破れて悲嘆するアリアドネを慰めているシーンです。もっとも、単に慰めているだけではないでしょう。バッカスはアリアドネに魅惑されているのに違いありません。バッカスは我を忘れて、足を踏み外したかのようにもみえます。バッカスが指さすのは誘いでしょうか。
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全体にわりあい軽い感じの調子です。それはこのテーマの楽観的な世界観、つまりディオニソスの世界観にも合わせたものなのでしょう。荒々しいどんちゃん騒ぎのなかにあっても、空には8つの小さな星が円形に並んでいます。ディオニソスには音楽がつきものですが、因みに音楽では8というのは特別な数字であり、よく8カウントで区切られています。それとも関係があるかも知れません。ただ、この空に浮かぶ8つの星は、神聖なものであり、真善美の統一体でしょう。
ディオニソスは、全裸の状態で、飛び降りて、この女性に向かって落ちているところです。ですから絵ではディオニソスは宙に浮いています。ディオニソスは指で指しています。女性は海や星の方向が重要だと言っていますが、ディオニソスは自分が指さしている方向が重要だと言っています。この意見の対立は何なのでしょうか。ディオニソスはこの女性に横恋慕しているのでしょう。女にとっては思慕する男性のことが重要です。ディオニソスは何が重要だと言っているのでしょうか。非常に真剣に重要な方向を指さしています。それは必死なほどに。飛びつつ、宙に浮きつつ、指で指しています。
あるいはこういうことでしょうか。女性が指さすものは神的な世界あるいは理想の世界、つまりイデアの世界であり、ディオニソスが指さすものは現実の世界なのでしょう。古くからプラトン的思想とアリストテレス的思想の対立がありました。前者は理想の世界を重視するのに対して、後者は現実の世界を重視します。ずっとこの対立が続いていました。ラファエロのアテネの学堂でもプラトンは天を指さしアリストテレスは地上に掌を向けています。これは理性の領域における理想と現実の対立の構図です。それにたいして、このティツィアーノはより情念的な理想と現実の対比の構図にもなっています。そしてこの女性は手を半ば下げてディオニソスに吸い寄せられ、半ば降参しかけているのです。この対立は貞節と欲動の対立とも言えるでしょう。女性の横にはヒョウが二匹座って顔を見合わせています。貞節は通常は犬で表現されますが、犬の代わりにヒョウになっているものとも考えられます。一匹の黒い犬が一団に向かって吠えていますが、これは貞節による抵抗を意味していますが、ひ弱な犬です。また前景の屈強な男には罪の象徴である蛇が絡みついて男を悩ませています。
近景の神話の中の人々、そして遠景の海の光景、それぞれが臨場感をもって神話的世界と意味や象徴の世界を表しています。貞節と欲動の対比も神話的世界にあっては、より高くより重要な何かにまで高められているようです。
パラティーナ美術館にて。
大分誇張されたデカすぎる体格です。このような誇張は、ティツィアーノの特徴でしょうか、それとも、当時の流行だったのでしょうか。
何れにしても顧客を贔屓しているのか、注文主の意向に沿うように誇張しているのではないでしょうか。
この人物の性格は悪くないのか、実直そうに見えます。
落ち着いた安定的な人物のようです。
画面全体も落ち着いています。
ただ後ろの変な影はなんでしょうか。
公認ガイドによれば、ティツィアーノの代表作の一つに数えられているとのことです。
キリストの埋葬
1525-30 ルーブル美術館
力強く、暗い光と影の効果、そして劇的に描かれています。
1527年、神聖ローマ皇帝軍によるローマの劫掠(ごうりゃく)が発生。
1529年 神聖ローマ皇帝カール5世に初めて謁見しました。1533年に2度目の会見。
1530年頃
パラティーナ美術館にて。
表情の表現がイマイチです。
全体に深みに欠けます。
公認ガイド(p124)によれば官能的な悦びの目的をカモフラージュするためにマグダラのマリアというテーマを選ぶということの原型ともなった作品だそうです。
パラティーナ美術館にて。 ガイドp122。
パラティーナ美術館の公認ガイドによれば、この人物はヌムール公ジュリアーノの庶子であり、枢機卿となり、教皇軍がハンガリー遠征を行いトルコ軍に勝利を収めた帰途でヴェネチアにて制作されました。このいきさつからして、この人物は大いなる名誉をもって帰還したと考えられます。
優れて誇張した面もあるかもしれませんが、堂々たる体格と風格です。
彼は皇帝の画家となり、そのことは彼に多くの特権と名声と富を与えました。詩人アリオストが『怒れるオルランド』の1532年版において、当時の最も偉大な芸術家としてラファエロ、ミケランジェロ、ティツィアーノを挙げました。また当時のイタリアの諸都市国家の宮廷が争ってティツィアーノの作品を求めました。1533年、カール5世はティツィアーノを黄金拍車の騎士に叙任し、ティツィアーノはカール5世像(プラド美術館)を描きました。
1533年 カール5世の肖像 プラド美術館
lady in Blue (La Bella)
1536
滑らかな表現で、わりと見栄えのする作品です。
下の写真は修復前でしょうか、わかりません。実物は上の写真のように頬に赤みが差して、ローブの青色も鮮やかです。これらの色彩や全体の見やすさ、および見栄えは、修復によるものでしょうか。後でカタログを調べると、2010年に修復して衣装の色彩と肌の色が「思いがけなく蘇った」と書いてあります。元々はこのような色だったのでしょうか、それならよいのですが。
パラティーナ美術館2019.7
ウフィツィ美術館にて
ティツィアーノは、人気絶頂のなか、衝撃的なウルビーノのヴィーナスを描きました。
最高のものに日常の一場面を描きこむことで高めてゆく巧みさ。
ここには明らかに身体的な享楽が関わっています。
なめらかな肌。
マットの装飾も巧みに描かれています。
このヴィーナスは微笑んでいますが、どんな微笑みでしょうか。誘うようでもなく。
ジョルジョーネのヴィーナスと類似した形態になっています。しかし、ジョルジョーネよりもずっと世俗的な肉感の魅力をたたえています。彼女は寝室のコルティジャーナ(高級娼婦)として描かれているようです。
布地の繊維が見えやすいカンバスにあまり緻密ではなく色が塗られています。緻密さよりも、全体のイメージを重視したものでしょう。写真で見慣れているせいか、本物は、実感を持って名画だとは思いにくいものですが、今改めて撮影したこの写真で見ると、この絵画の芸術的な高まりを感じます。(2019.5ウフィツィ)
駐オスマン帝国フランス大使 ダラモンの肖像画
1541年
教皇パウロ3世像
1543年
パウロ3世は、芸術の庇護者でもあり、ミケランジェロに『最後の審判』を描かせました。
ユリウス2世像
1545年?
パラティーナ美術館にて。
ラファエロの「ユリウス2世の肖像」の複製です。ラファエロの原作よりも小さいサイズです。ラファエロの方が迫力あります。ティツィアーノの方がユリウス2世はヨレヨレに疲れています。指輪もしょぼいです。全体に貧相な印象です。絵画としての魅力も特段感じられません。
ピエトロ・アレティーノの肖像
1545年
なかなか印象的な肖像画でした。どこが印象的というのがなかなか説明しがたいのですが、この表情、この画角の切り取り方、このそこはかとないポーズ、上着の色彩光沢、強い目差しなど、総合的にパッと見た目で印象的です。総じて、すこし破格な印象もあります。またはっきりわかりませんが、この人の性格も表しているのでしょうか。
『カール5世騎馬像』(1548年) プラド美術館(マドリード)
ミィールベルグの戦いでプロテスタント軍と戦ったローマ皇帝カルロス5世を描いた絵画。乗馬中の肖像画という新しいジャンルを確立した作品です。ローマの伝統的な騎馬像と中世の理想的キリスト教徒としての騎士の両方を表現した構図ですが、描かれているカルロス5世の表情は疲れた様子でもあります。また乗馬中の肖像画は、あたらしいタイプの肖像画でした。
ニンフと羊飼い。1550年
<ウィーン美術史美術館にて>
ウィーン美術史美術館によれば晩年の代表作の一つに数えられるとアナウンスされていますが、この作品を実際に見てそのことはあまりピンときませんでした。
ニンフと羊飼いは恋人同士であると思われます。
この作品については未完の作品であると考える批評家もいるとのこと。色彩が少なめですが、当初はより強い色で塗り、あとで薄い色で塗り直したとの研究結果があるとのことです。
エロチックで優雅です。
ティツィアーノは晩年にはこのような、ある種枯れたような作品を描いていたのでしょうか。
1550年ごろ
音楽にくつろぐヴィーナス
だいぶん早いペースで描いたようです。大きなサイズでもあり一見すると大作のように見えるかもしれませんが、男女の顔と女性の裸体は丁寧に描かれているものの、それ以外は、とても早く描かれています。またクオリティはさほど高くないと思われます。この構図は巧みで印象的でもあるのですが。
とりわけ背景の噴水や池などは、かなり酷いものがあります。しかし意図的にこのように暗くてダメな感じに描いているのでしょうか。
プラド美術館展2018年
『ディアナとアクタイオン』
1556年 - 1559年
ナショナル・ギャラリー(ロンドン)
『ディアナとカリスト』 1556年 - 1559年頃
スコットランド国立美術館
受胎告知
1559 - 1564
油彩/カンヴァス サン・サルヴァドール聖堂
高さ4mの大作。ティツィアーノが70歳を超えた作品です。
大天使ガブリエルの翼はもともとは深い青色で描かれていましたが、変色してしまったそうです。
『聖会話』
1560年頃
ヴァザーリが1556年にティツィアーノのもとを訪れたときの印象を次のように記しています。「ティツィアーノは初期においては、緻密で驚くほど念入りな仕上げを見せていたが、晩年の作品は大まかな筆致で描かれている。近くからは何も見ることが出来ず、遠くに離れると完璧に見える」このように描くようになった一つの原因として視力の低下が上げられ、長らく晩年の作品が低評価になりがちでしたが、19世紀後半の印象派の観点からして再び高い評価が与えられるようになりました。ただし、印象派のように明るくなく、豊かな色彩ではありません。
もともとティツィアーノは「色彩の錬金術師」とも呼ばれ、色彩が鮮やかなヴェネツィア派の象徴でもありました。かつて線描を重視したミケランジェロに対して、ティツィアーノは色彩を最も重視して、1545年から46年にかけてのローマ旅行のさいに両者の間で論争になりました。しかし、晩年の作品になると、こういった色彩の側面は退潮しました。そして、画風は色彩が乏しく、極端に暗く、とても重くなりました。
『三世代の寓意』
1565年 - 1570年頃
ロンドン・ナショナル・ギャラリー
自画像
1567年
79歳頃
The death of Actaeon
1559-75
ティツィアーノの晩年の作品らしくて、荒々しく、残忍で、暗い画風です。殺害されているのはティツィアーノ本人でもあるかのようです。若くエロチックな性的魅力に満ちた若い女性に老人であるティツィアーノが殺害される。殺され方がまた残忍です。矢で射抜かれて、犬に噛みつかれようとしています。既に矢は放たれ、命中したはずです。矢で射られたショックでもう大分大きなダメージを受けているでしょうが、同時に3,4匹の猟犬が襲いかかっています。膝は既に噛みつかれています。
ティツィアーノの晩年の暗い精神が表れています。老いと若さの対比。老いは必ず負け、若さは必ず勝ちます。氏という運命を前にしては、到底叶いません。生命に満ちた若さと、死が刻々と近くに迫る老いの対比。若い女性には既に老人を性愛の対象とみることもあり得ません。National gallery, 2020.1.
『皮をはがれるマルシュアス』(1570年 - 1576年頃) クロムニェジーシュ美術館(チェコ)
自画像
1575年
ティツィアーノ87歳の作品です。
ピエタ(哀悼の意)
1575年
ヴェネツィア アカデミア美術館
フラーリ聖堂内に設置しようと考えていたティツィアーノ自身の墓所のために描かれたとも言われています。彼の遺作であり、未完でしたが、弟子によって仕上げられました。
聖母マリアが悲しんでいます。その左にはマグダラのマリアが怒りと悲しみで手を広げて前に踏み出し、訴えかけています。右にひざまずいているのは聖ヒエロニムスであり、これはティツィアーノ自身を模しているのだろうとも言われています。
背景の中央にはペンギンのレリーフがあり、これはキリストの犠牲の象徴ともされます。左にはモーゼの像。右にはヘレスポトスの巫女であり、キリストの磔刑と復活を予言したとされています。