表参道ソフィアクリニック
クールベの描く諸作品はそれぞれの世界を形成しています。閉じられた世界です。その場で形成される「世界」の雰囲気、空気感があります。クールベのポイントは世界観が空気感として現れることかと思われます。それぞれ違う世界、他の世界がないかのような閉じた世界です。狩猟には狩猟の世界、鹿には鹿の世界、農民には農民の世界、海には海の世界、無数の異なる世界観を見出して、その空気感と雰囲気を描きます。
アトリエには各人それぞれが世界観を持っているような人々が集まって、雑多な集団肖像を形成しています。それぞれの世界は必ずしも連絡はしていません。それらがまた全体としての世界を作って、一つの全体性を主張しています。まだ尚もここは全き全体としての世界ではありませんが、ここはクールベのアトリエの世界です。(2017.12ルーブル)
1844-1845年
この作品はウィーンのベルベデーレ宮殿(上宮)とパリのオルセー美術館の両方にあると思われます。
ベルベデーレ宮殿のほうは、レプリカでしょうか?
戦いに敗れたのか、闇討ちにあったのか、胸には痛々しい瀕死の重傷を負っている。
戦いに傷つくクールベを演技的に表現している。
死ぬかもしれず、というか左胸心臓の近く(急所は外れておそらく肺)を突かれて、即死ではないものの、これでは死ぬ可能性も少なくなさそうだが、必ずしも死に直面していることをメインテーマにはしていないかもしれない。男は痛みと衰弱のうちに、まどろみに沈もうとしている。戦い死に瀕した孤独の独特の状態を表しているようだ。
ウィーン、ベルベデーレ宮殿2017年5月にて。
クールベの充実の女性肖像画です。
この女性は何を語りかけようとしているのでしょうか。どんな感情を投げかけようとしているのでしょうか。何を思っているのでしょうか。この女性は、か細く、心が弱いのでしょうか、それともドギツイくらいに強いのでしょうか。また、優しいのでしょうか、冷たいのでしょうか。この女性は、相反する側面が渾然一体となり、どちらとも取れます。クールベの描く絵のそれぞれにそれぞれの世界観があります。クールベは各種様々な世界観を変幻自在に描きます。変幻自在に世界観を描くのは、ヒステリー者の本領発揮といったところです。この女性にはこのこの女性の世界観があり、この絵の中の世界はこの世界観で表現されています。この女性は自分の内面に引きこもっているのでしょうか、それとも私たちを魅了し、捨て去り苦しめようとしているのでしょうか。おそらく両方でしょう。この女性もまたヒステリー的です。その顔つきはクールベの女性版の様にも見えます。
(The Metropolitan Museum of Art, 2018)
画家にとって生まれ故郷オルナンは、ずっと大切な風景であり続けたようです。写真では分かりにくいですが、画家は絵の具をとても分厚く塗っています。壁の光も美しいです。川の黒い流れもしっかりと分厚く描かれています。すごい厚塗りです。クールベの故郷への想いが重ねられているようです。何気ない光景だけに、うまさピカイチが光ります。人物もいいです。
(プーシキン美術館展2018年)
1949年 オルナンの埋葬 Un enterrement à Ornans
超高画質はこちら。巨大なサイズの作品です。
遠景は永遠を表しているのでしょうか。神的で神秘的です。ゴルゴダのおかとも重ねられているような、イエス・キリストの生きた時代の土地と重なった光景のように思われます。厳しい荒野です。神の世界がにじんでいます。
誰が亡くなったかはわかりませんが、主に中央の男性たちと取り囲む女性たちは、ハンカチを目に当てている人が多いです。断裁たちと女性たちと比べると特に女性たちが悲しんでいます。男性のやかで唯一泣いている中央の男が喪主でしょう。この妻か母親か、大切な肉親が亡くなったのでしょう。左側には聖職者とその同行者たち。親族、友人、地域の人たちは左側に男性たち、右側に女性たちがというふうに配置されています。
塵から創られた人間は、塵に帰ります。髑髏(しゃれこうべ)が地面に落ちています。
2017年1月オルセー美術館常設にて。
1855年
アトリエ
2017年1月オルセー美術館常設にて。
雑多な人々、いろんな人々。彼ら彼女らは社会を表しています。いわゆる民衆、そして知識層。上流階級の人々は少しはいるのでしょうか。
絵画は社会と関係している、というテーゼが込められているのでしょうか。クールベのリアリズムはそのことと関係しているかと思われます。
Restauration : 2016年に公開されました。
よりクリアになった印象です。全体に明るくなり黒がより黒になり引き締まっています。しかし必ずしも格調の高さや高級感が増しているわけでもありませんし、感動を強めるわけでもありません。それにまたより理解が進むでしょうか?
社会の諸相、色々なタイプの人間がいるものです。クールベが描く色々な世界、その断片的なものが集まって総体を作っています。
(2017.12オルセーにて)
クールベの自画像。意図的に本物とは異なるように描かれているのでしょう。自己愛と演技性、全体としてはヒステリー者としてのクールベです。(2017.12ルーブル)
1865
プルードンと子供たち
社会主義的な無政府主義者のプルードンを描いています。中、上流階級と異なります。彼は下層階級の代表であり、下層階級の権利向上及び社会構造の変革を考えて構想しました。置かれた書物は、彼の知的な精神を表し、子供達は文字を習い、またママごとのようなことをしています。
実物は、想像していたよりもくすんでいました。クールベの小品であり、また格段この作品に何かがあるというものでもない様です。この作品はこの女性から見たなるしシックな世界像を描いています。この女性にとってあまり良い世界ではなさそうです。表情はくすみ、むしろメランコリックであり、冴えなくて、うつろです。悲哀が含まれている様に思われます。
(The Metropolitan Museum of Art, 2018)
あからさまなくらいに若い女性の性愛を描いています。大きく広がった髪の毛は、性的な解放を表しています。鳥は使者、恋の声を告げ教えてくれます。これはメスではなくオスです。鳥はオスの方が色とりどりだからです。そしてまた色とりどりである様な男性への性的な憧れでもあり、また事後にこの鳥に挨拶をしているのです。シーツや脱ぎ捨てた着衣の乱れは秩序の乱れであり、すでに事は終わり、余韻に浸っているのでしょう。これはギリシア神話でゼウスが白鳥に化けてレダと貫通する物語にも近いところがありますので。
(The Metropolitan Museum of Art, 2018)