表参道ソフィアクリニック
カルロス・デュラン(Durand)についてはこちら:こちらをみる限り、今ひとつの画家のようにも思われます。この作品が大分マシのようです。
治癒に向けて横たわり、体をやすめ、精神機能を低下させています。かなりダメージも受けているようでもありますが、しかし肌の色艶はさほど悪くはありません。
この作品はクールベとも比較することもできます。演劇的なナルシシズムもここには見れます、しかしクールベほどではありません。それだけにスケールは少し小さめともいえるでしょう。
1869
La Dame au gant. Mme Carolus-Duran, née Pauline Croizette
非常に大きな作品です。リアリティーがあり、見応えもあります。モデルはブルジョワでしょうか。あるいは女優でしょうか。手袋をなぜ取ろうとしているのでしょうか。既に右手の手袋を脱いでいますが、それは床に落ちています。左手の手袋を脱ごうとしていますが、この手袋も床に落とすのでしょうか。こういった仕草が一体何を表すのでしょうか。性的なニュアンスでもあるのでしょうか。
(以上、国立新美術館 オルセー美術館展2014年)
落ち着いています。やはり女性が前へとでてくる時代でしょうか。
手袋を落としています。中バイト的なように。これも女性の情感を表しています。
宮廷風恋愛の流れにもあります。フロベールの『感情教育』が刊行されたのは1869年です。この絵画の前か後かはわかりませんし、この画家が知っていたかどうかもわかりません。同じ時代で同じ情感を共有していた可能性はあります。第二帝政時代の雰囲気を表すものでしょう。女性としての性愛をにじませています。
ヒステリー的な傾向もあるかもしれません。
手袋を片方脱ぎすてることは、自己の一部を脱ぎ捨てることでもあるでしょう。
この手袋を男性が拾うことが期待されているのでしょうか。
こちらに眼差しを投げかけてきています。
(以上、2017年1月オルセー美術館での第二帝政時代の展覧会にて)
かなり成熟した女性像です。これは誘惑のポーズのようにも見えます。黒づくめで白い手袋と赤い花(バラでしょうか)と白い花(これもバラでしょうか)。そしてこの黒づくめは喪服のようにも見えます。つまり夫が死んで喪中なのか、あるいはそのようなイメージがあります。その際の性的魅力をすでに発揮しているのでしょうか。多かれ少なかれ演技的ないしは演劇的でもあります。(以上、2017年12月オルセー)