表参道ソフィアクリニック
1860-1945年
1871年にナポレオン3世が普仏戦争に敗れて第2帝政が崩壊し第3共和制が樹立されてから、第一次大戦にいたるまで、長い平穏な発展の時代が続きました。普仏戦争の復興に続く好景気であり、産業ブルジョワジーがさらなる繁栄をして、文化的にはもはや貴族的文化そのものではなくて、新しく自由な気風が求められました。この気風はフランスだけに限らずヨーロッパに伝播します。それが19世紀末のアール・ヌーヴォーでした。さらに20世紀にはいると、モダンなステージに第一歩を進めたアール・デコへと移行しました。このように新しい文化が開花し爛熟しました。
アール・ヌーヴォーは、短命で終わりましたが、デコは20世紀のモダン・デザインの出発点でした。短命だったアール・ヌーヴォーの時代は、貴族文化から抜け出て、新しい気風と活力に溢れながらも、どことなく死や終末も意識したような世紀末文化であり、上質で美しい造形を遺し、後の時代に懐かしさを込めて古き良き時代、ベルエポックと呼ばれました。
ルネ・ラリックは、アール・ヌーヴォーの終わり頃からアールデコの時代にかけて制作しました。
はっきりとしたアール・ヌーヴォーでもないし、はっきりしたアール・デコでもありません。ヌーヴォーとデコの融合のようにも見えるときもあるし、そのどちらでもないようにも見えることもあります。
入れはおもに、彫金や宝飾、インテリア、ガラス器の分野です。
ガラス工場の経営者に転身するのは50歳を過ぎてから。
これはラリックの中でもとくにアール・ヌーヴォーを思わせる作品です。1900年のパリ万国博覧会で展示されて評判となった作品の一つです。
キラキラとしていて、とても細かく繊細です。そして洗練されています。豪華にしてエレガント
女性に羽が生えているのは、変身願望だと思われます。
16歳でパリの貴金属細工師に弟子入りしました。
1987年には既にレジオンドヌール勲章を受章していました。
1900年のパリ万国博覧会で、ラリックの宝飾品が評判になり、世に知られるようになりました。
所々で、現代でも精彩を放つ作品があります。
有機的でおどろおどろしく気持ち悪さがあったりします。その点はアールヌーボーの系譜でもあります。
他方では。。。
古くさいモダンのようにも見えます。
繊細さが書けるような作品もあります。バランスがうまくいっていたり、偏っていたりするところもあります。またこの偏りが良かったりもします。
ラリックは生涯を通じて水辺で多くの時間を過ごしました。水や水の精、水の生き物などの題材が多いです。
ルネ・ラリックの電気式常夜灯 パヒューム・ランプ