表参道ソフィアクリニック
ポーズを取っているだけで、歌っているわけでも演奏しているわけでもなくて、絵画の中で静止しています。これは音声なき絵画世界です。絵を描く口実としての演奏のシーンであり、音楽的な要素を表現したいわけではありません。音楽的な絵画とはモンドリアンなどもっと後の世代の画家です。
この音なき静かな世界で、機能を停止して、かたまっています。巧みな一品です。
(The Metropolitan Museum of Art, 2018)
『オランピア』という名が当時の娼婦の通称でした。
黒人の女性が持ってきたのは顧客からの花束でしょう。
この高級娼婦は、破格に値も高いものと思われます。1日に何人の客を取るのでしょうか、一人か二人くらいでしょうか、あるいはほぼ完全にパトロンによってお抱えになっているのでしょうか。
彼女はなぜ裸でいるのでしょうか。
また広告のような側面もあるのかも知れません。昔の王侯貴族が結婚の候補のために女性の肖像画を描かせて送って見せるように、ここではブルジョワを対象として、自分の肖像を見せるというような。昔の貴族の時代とは異なって、この当時はブルジョワの世界です。それは広告という形態をとります。商品社会です。当時ナポレオン三世の時代は空前の売春時代だったとも言われています。もちろん実際この娼婦がこの絵画を広告目的で使うということではありません。そのような広告性をこの絵画にも描きこまれているのではないか、ということです。
この作品が描かれたのが1863年。因みに、ほぼ同じような時期に『草上の昼食』が描かれました。
高級娼婦のアレクサンドル・デュマ・フィスの『椿姫La Dame aux camélias』が発表されたのが1848年。作家自身が戯曲化して1850年に上演され大成功を収めました。ジュゼッペ・ヴェルディの『椿姫 La traviata』が発表されたのは1853年です。こういったこともマネが『オランピア』を描こうと思った直接の重要なモチベーションの一つではなかったのでしょうか。そうでなくても、当時の同じような世相を背景にしていたと思われます。どれだったか忘れたのですが、ジュゼッペ・ヴェルディの『椿姫 La traviata』の上演で、マネの『オランピア』が舞台上(確か主人公のマルグリット・ゴーティエの寝室)に飾られていたものがありましたが、それはあからさまなくらいであり、むしろ興醒めなところがありました。)(2017年12月オルセー)
Zola
かなり落ち着いています。
日本の風物はこの時代のパリの美術界の大きな特徴の一つ。
ゾラが水平方向を見つめるのは現実を見つけるということでもあります。
コントラストが高く明瞭な色調。顔と本と手が浮き立っていますが、特に本が浮き立っています。
構図が良いです。 【2017年1月オルセー美術館での第二帝政時代の展覧会にて】
高級感を備えています。特に椅子やその他のものの描写がそうです。
マネの作品には充実した高級感があります。それまでとは異なる価値観による高級感です。市場価値も高いものを目指しているでしょう。(2017年12月)
1869
Le Balcon
【2017年1月オルセー美術館での第二帝政時代の展覧会にて】
これも女性が前景に出てきています。
憂いを含んだ目をしています。
女性が前景に出て、女性の情感や性愛のニュアンスが描かれています。
上流階級の人々。これまた物質的な豊かさ。安定した生活基盤と安定した生活。
フォリー=ベルジェールのバー
1882年 油彩、カンヴァス 96×130cm
マネの最後の完成作品です。そしてマネの傑作の一つとして知られています。
ここは1869年にオープンしたフォリー=ベルジェールという劇場内のバーの売り子を描いています。画面の手前が実像であり、背景は鏡の像です。鏡の中には帽子をかぶった男が描かれていいますが、手前には男性がいません。それがおかしいと言われてきましたが、最近は今も残っている現場で再現してみると、空間構成が矛盾していないことが示されています。しかしそれ以上に重要なのか、この絵の思わせぶりな意味です。この作品は当時の世相とともに、当時の若い女性の裏の実態を描いているらしいのです。
この女性は人形のような表情をしています。若々しく、色気が漂い、そして物憂げで悲哀もこもっています。彼女の背中が鏡のなかに写っています。古くから鏡は真実を表すと言われています。鏡のなかでは彼女は男と何事かを交渉しています。彼女は積極的に身を乗り出して交渉しています。実は当時この劇場では娼婦たちが多くいることで知られていました。こういった店員の女性が、時に応じて娼婦に変身するのです。彼女は飲食の提供だけでなく、裏では性の提供もしていたので、ギ・ド・モーパッサンは、この劇場のこの手の店員のことを「酒と愛の売人」と表現しました。
一人の女性が二分割されて、あたかもドッペルゲンガー(分身)であるかのようです。状況により、いろいろなものになり得る白紙の状態でもあり、うつろな目です。あるいはこの男を見ているのであり、あるいは私たち鑑賞者を見ているのであり、あるいは劇場の光景を見ているのであり、あるいは宙を見ています。彼女は男の鑑賞者がその気になりさえすれば、それに応じて性を提供してくれます。あなた次第なのです。さああなたはどうしますかというわけです。彼女は求めに応じて変化します。
あるいは彼女は社会を映し出す鏡でもあり縮図ともなっています。前景も後景(鏡像)も両方共が真実を表しているからこそ、この絵は臨場感があると思われます。
この作品もまた過去の絵作りとは異なる新しい時代の感覚がみられます。そして当時の都会の雰囲気をよく表しています。
コートールド美術館展覧 魅惑の印象派 2019年
このマネの作品はベラスケスの1656年の作品「女官たち」を意識して描かれていると言われています。この作品では、奥の鏡に映っているのは国王と王妃です。画面左側にベラスケス自身が絵筆を持っています。画家は国王と王妃の肖像画を描いていているところです。そして王女マルガリータと女官たちが描かれています。こうしてこの登場人物たちは国王と王妃を見つめています。しかし国王と王妃はこの絵を見つめている私たち鑑賞者でもあります。鑑賞者はこの絵の中で国王なり王妃になります。あなたが王や王妃なのです。鏡に映った王や王妃は、愛おしむ気持ちで見ていることでしょう。そしてこれらの人々に見つめられてあなたはどんな気がするでしょうか。こうしたあなたはこの絵のなかの世界に引き込まれるのです。