表参道ソフィアクリニック
2016−2017年にかけて、FANTAN-LATOUR À fleur de peau, Musée deu Luxemburg にて展覧会があり観に行きました。
さすがに地元だけあって充実していました。
Moi, je suis fanatique de la photographie. 1888年の言葉。ラトゥールは実際写真が好きなようでした。絵画もそのような傾向があります。しかし、総体として見渡すと、写真のようなリアリティーに傾いている絵画群と写実から離れた想像力の世界に傾いている絵画群があります。1890年代と1900年代は後者の作品群が目立ちます。
どちらかに傾くにしても、リアリティとイマジネーションの混合でもあります。そして、ラトゥールの絵画は、静かであるとともにドラマティック、劇場型の側面も見られます。ラトゥールという演出家は、キャンバスという劇場で、写実的描写をドラマティックに演出します。
また緊張と弛緩の両方の引き合い、バランスがあります。そして緊張と弛緩の種類もいくつかあると考えられます。例えば硬さと気が抜けたようなところということもできるかもしれません。あるいは緻密なところがこの画家の特徴であるのですが、気が抜けたようなところもあるのではないかとも思われます。
緊張と弛緩とドラマティックの引き合いがあります。悪い方に傾くと、緊張は硬さに、弛緩はくすんだり緩んだりキッチュになったりして、ドラマティックはわざとらしさになりえます。
集団肖像画は、写真で見るぶんと実際とでは印象が同じではありません。写真で見るとかなり見栄えがするものですが、実際には、少しくすんだようで、はっきりしないところがあります。なんとなく硬かったり、少し気が抜けたようなところもあったりして、写真で見るほど素晴らしいものでも内容にも思われます。
人物よりも80年代の花の絵の作品の方が良いのではないでしょうか。
彼の次のような言葉もあります."On peint le gens comme des pots de fleurs"
1861
La Liseuse (Marie Fantin - Latour)
画家の妹のようです。穏やかで清楚で愛らしい女性です。柔らかい雰囲気です。兄の妹に対する愛情を感じます。読書をしているとともに、本を積んであり、知的な女性であることを暗示しています。
白黒のモノトーンの衣類、装飾はなく品が良くて簡素です。そしてカナぺの赤色や茶色との対比も上品です。全体におとなしく整っています。
妹が読書をしているところを描いているということではありますが、それよりも、そのようなポーズをとっている妹を描いているというふうです。兄の絵のモデルになるにあたって、兄とのために真面目にモデルを務めているというふうでもあります。
集団肖像画の有名なもの3つは60年代、70年代に描かれています。
いわゆる「男社会」を描いているのも特徴の一つでしょう。
1864
Hommage à Delacroix
若くして描いた作品でありながら、後世に残る大変有名な作品となりました。絵画自体が優れているにしても、極めて優れている卓越しているというよりは、これが歴史的、象徴的でもあるからでしょう。描かれている人物が著名人が何人かいます。
筆触は意外に荒いです。ドラクロワの肖像はとくにそうであり、うまく背景に溶け込んでいます。北方絵画あるいはレンブラント風の集団肖像画の雰囲気も残しています。
全体に茶系の色調でまとめられていて、沈んでいます。ドラクロワへのオマージュでありながらドラクロワの色彩感覚を欠くモノトーン傾向です。
1866
日本の百合
Lys du Japon
いかにも和の画風です。金色のような背景です。もっとも金箔を押しているわけではありませんが。
1870
Un atelier aux Batignolles
絵筆を持つマネを中心に描かれています。マネは指導的な立場でもあるようです。マネの取り巻き、または彼の近しい人たちでしょう。彼の弟子もいるのでしょうか。しかし、ここでは男ばかりです。ラトゥールの集団肖像画は男ばかりというのも特徴の一つに加須けることもできるかもしれません。男ばかりの集まり、男性社会です。マネには女性の弟子も有名なのがいますが。ここではルノワール、モネ、ゾラ、バジルといった錚々たる人物たちが描かれています。この絵画の焦点はマネの顔です。
1872年 Coin de table
こうして他の集団肖像画と比較して観ると、この作品は少し硬めであるように見えます。
この作品は国立新美術館のオルセー美術館展の時に来日したことがあります。
L'ANNIVERSAIRE (1876)
とても大きなサイズです。
ベルリオーズのオマージュとして制作されたものです。ベルリオーズは1869年になくなりました。ベルリオーズの立派な墓石の前で彼の死をいたむ人々を描いています。ベルリオーズの死から7年前後経ってからの作品です。
ちょっと緩んだような、なんの表現であるのか。少し冴えない感じがします。大味な表現です。イマジネーションの世界を描く彼の作品にはありがちかと思われます。少し大袈裟でないでしょうか。わざとらしいくらいにドラマチックです。
【1880年代の静物画について】
60年代70年代より80年代の花の絵画群がより精彩が富むように思われます。見事です。
美によって固まった花々、いわば「美による硬化現象」と呼んでも良いようにも考えます。絵が硬くなったというよりも、美によって固まったというふうです。
静かであるとともにドラマティック、劇場型の側面も見られます。キャンバスという劇場でドラマティックに演出されています。
ファンタン・ラトゥールは印象的な肖像画もたくさん描いていて、有名な作品としても残っていますが、生け花の絵も有名です。肖像画が少しくすんだようなところがあるのに対して、花の絵はより優れてもいて「花のファンタン・ラトゥール」とも呼びたくなります。
1883 Cerises
1877
branches de lys
1883
Autoportrait
暗闇から浮き出るような引き締まった厳し表情です。絵画としてもキリリとして引き締まっています。
この肖像画では、男性性が強調されています。陰影、コントラストが高いです。静かであるとともにドラマティック、劇場型の側面も見られます。対象を極めてしっかり見つめる目、神経が隅々まで行きわたるような特性があります。当時はこの画家は花の絵でも美しく引き締まっていて、細部まできめ細かに描いていましたから、あるいはこの画家の、この時期の傾向かもしれません。
人は時期によって、引き締まる時期もあれば、緩む時期もあるものです。ラトゥールのような過度にきめ細かくなりやすい人には、緊張の時期と士官の時期の差が大きいかもしれません。
【1890年代や1990年代】
1890年代や1990年代には、神話などを題材に、ファンタジーのような一連の絵画群もあります。柔らかさと、荒々しさが混じり合ったようでいて、ボケた感じですが、しかし、少し緩んでいます。現実の写実からは離れて、現実から遊離した想像力の世界の方へとシフトしています。
1885年
女性の肖像
質感、この表情、パーソナリティがマッチしています。