表参道ソフィアクリニック
ウィーンの世紀末は、美術、音楽、建築、装飾、デザインなどで複合的な変質を見ました。
・ウィーン市長ルエーガー :在任期間は1897-1910。
・建築におけるオットー・ヴァグナー
・分離派:クリムトに代表される新しい芸術。グラフィック、プリント、ポスター。
・アドルフ・ロースのデザイン。「装飾は罪悪である」という言葉は有名である。これは建築家オットー・ワーグナーの「芸術は必要にのみ従う」という合理主義・機能主義の主張を更に推し進めたものだったが、さらに強硬な考え方でもあり、ウィーン分離派やウィーン工房の装飾を攻撃した。自らはロースハウス(1909-1911)を設計して、装飾を抑制したものであり、モダニズム建築の先駆けとなった。
・シェーンベルク、アルバン・ベルク、ウェーベルンら前衛による音楽形式の革新。新ウィーン派。
・ウィーン工房(ウィーン工芸美術家生産協同組合):1903年にウィーン分離派の工芸品製作所として設立されたウィーンでの工房。アーツアンドクラフトの「手工芸ギルド」にも影響され、職人の手仕事を中心として、工芸品だけでなく、室内の全てをデザインするトータルコーディネートも行った。採算を度外視して高品質の商品を製作していたが、経営が悪化し、1932年代に遂に倒産した。
プルカースドルフのサナトリウム
ウィーン工房による設計
ミヒャエル広場のロースハウス
1909-1911年
下層部は大理石が用いられ、古代風の柱列があり、重厚で豪壮な雰囲気であり、今日から見れば決して装飾を抑制しているようには見えません。
クリムトの装飾主義とも呼べそうな強い装飾傾向を批判するのはわかるにしても、ウィーン工房も批判するとすれば、理解できません。