表参道ソフィアクリニック
1865年スイス・ローザンヌ地方出身。スイスの厳格なプロテスタントの家庭で育ったといいます。スイスのプロテスタントでしたら、カルヴァン派でしょうか。1881年頃、16歳でパリに出て絵の勉強をします。アカデミー・ジュリアンで学びました。経済的には恵まれていなくて苦学をしたともいいます。ヴァロットンは思春期から青年期そして壮年期に向かうにしたがって次第に世紀末へと向かうような時期です。そのような芸術、文化、風俗の一種独特な時代に巡り合わせました。
彼は謹厳実直な生育環境と自由なパリの雰囲気への投入という混合が見られるとも思われます。かれはアカデミズムの道は選ばずに、それとは異なる道を歩みます。ある意味、途中から芸術家として発病するとも言えようかと思われます。
当時のパリは、1870年71年の普仏戦争及びパリコミューンからほぼ完全に復興しましていましたが、彼が50歳前後には第一次大戦の時期も経ます。彼はおおむね平和の時代に活躍しつつも、後に戦争に巡り合わせたことになります。
彼はまずは主に肖像画を描く事から始めます。
印象派の色彩や光の探求とは距離を置いていて、素描を重視します。
またナビ派とともに活動をしました。
裸体画など女性像も多く描いていますが、女性を多面的に描いているようです。
風景画では、人とは関係のないところで自然が進展しています。基本的に人がいない自然であり、人の形は描かれているが、自然と調和した人というよりは、自然のなかには実質的には人がいないものであるという風です。
また人物は顔が描かれていないことも少なくありません。顔が描かれたとしても、表情は印象的であっても、人間としての印象が乏しいと思われます。
フェリックス・ヴァロトンの風景画は、具象を色彩とトーンと形象の配置のバランスを考えていて、さらにいうとデザイン化しているようです。フォービズムのようなものもあれば、エドワード・ホッパーのようなものがあったり、装飾的だったり、さほどそうでなかったり、かなり柔軟に、いろいろな画風があるように思われます。
いろいろな画風で描きます。器用な描き方もあれば、無器用な描き方もあります。
総じて油彩の色調は、マットなパステル調が多く、メリハリのきいたものもあります。どぎつい色調は比較的少なめです。
大画家とまではいかないようにも思われます。
グラフィック・デザインの先駆者と呼ばれるとも聞いたことがあります。こう聞きますと、これ以上あまり理解しようとしなくても良い、と何となくほっとしてしまいますが、本当にグラフィック・デザインの先駆者という位置づけで割り切ることができるのでしょうか。
フェリックス・ヴァロットン展
冷たい炎の画家
LE FEU SOUS LA GLACE
この写真はgrand paraisでの展覧会のカタログの写真です。
この展覧会は2013-2014年にパリのグラン・パレで行われたフェリックス・ヴァロットンの大回顧展が三菱一号館美術館に巡回してきたものです。グラン・パレでの展示の方が随分と豊富でした。グラン・パレの展覧会はいつも大規模です。それに、やはりフランスで活躍した画家だからでもあるでしょう。ヴァロットンの全体像を見るにはやはり、グランパレのような大規模な展覧会のほうが見応えがあるのではないかと思います。
ヴァロットンは、そんなに大物でもないこともあり、大作などの作品の数が乏しいと全体像も見えにくくなるという側面もあるでしょうか。
またヴァロットンは、感覚的で、全体的な雰囲気、多くの作品を並べたときの全体の雰囲気も見応えに関わってくるのかもしれません。下では、今回展示以外の作品も並べてみました。
一つ一つも作品も理屈ではなく感覚的に見た方が良いのかもしれません。
1884, Étude de fesses, Félix Vallotton, vers Huile sur toile.
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
19歳前後の作品です。画家を目指す走り出しで、なぜこのようなテーマで描いたのでしょうか。こと細かく描いています。
クールベの『人類の起源』を思い起こすところもあります。クールベほど過激でもないし、またクールベのような異様なほどの個性と才能に満ちているわけでもありませんが。
1885年 フェリックス・ヴァロットン 《20歳の自画像》 油彩 カンヴァス ローザンヌ州立美術館
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
20歳(1885年)のときの自画像。
落ち着いていて知的で整っている雰囲気です。
スーツを着込んで、髪を短く刈って、たとえば学校の先生や、ビジネスマンの肖像画だとしてもおかしくないような肖像です。ある意味あまり個性がないようにも見えます。ありきたりな感じもぬぐえません。
しかしこの鋭くて、物事のある面を見通すかのような目つきが印象的であり、額のテカリ具合は、彼の頭脳の明晰さを暗示しているかのようです。彼の目は物事の本質を見ぬくための光学装置と言えば、大げさかも知れませんが、そのようなもののようです。表情は総じて冷徹なくらいです。野心も垣間見れます。
きちんとした身だしなみ、そして現実的で冷静な眼差しを持っています。
プロテスタンティズムとはやはりビジネス、謹厳実直、現実感覚、経済感覚との親和性をみることができるかもしれません。
現実的で冷静な印象があります。
また謹厳実直とパリでの自由な羽ばたきの雰囲気とが混合されているようです。
冷ややかで神経質です。
1887 Felix Jasinski Holding His Hat
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
22歳頃の作品です。整ったデザイン化がみられます。まるでポスターのように自らの絵画にデザイン化されたサインが見られます。自らを売り出すような所もあったのでしょうか。しかし、あまりやはり特徴のあるようなもののようには思われません。
様式化された優れた肖像画です。先進的進歩的と言うよりも近代的。古いものと新しいもののバランスを保った結合。落ち着きも見られます。
参考(出展なし)
1892-93 bathing on a summer evening, félix vallotton,
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
1893, Le Valse 《ワルツ》アンドレ・マルロー美術館
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
世紀末の雰囲気がよく表しているような気がします。遊泳しているかのようです。
なぜか前景に位置する女性は和風です。
幽霊のようです。これが当時の雰囲気の一端ではないでしょうか。
女性の恍惚とした表情は、性的恍惚であるとともに、何らかの他の恍惚であるようですが、それが何であるかは定かではありません。男性に身を任せる恍惚とナルシシズムも関係があるようにも見えます。
1894 CLAR DE LUNE
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
個性的な形象です。平面的、装飾的です。そして装飾的にデザイン化されています。ロシアの写実絵画にこんなシーンがあるような気がするのですが。もちろん、こちらは随分と図案化されて、平面的です。
これもジャポニズムの背景があるように思われます。月の光と、照らされた雲の色と形、そして装飾的に蛇行する川への反映など、日本の金の装飾、あるいは蒔絵をも連想させます。和風です。
装飾的な形象化が主調であるように見えます。
1895, le luxembourg
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
多くの人々がリュクサンブルグ公園に集っています。前景の軍人と水兵の服を着た子供。中景の人々。そして後景の大理石の彫像。この大理石の彫像は古代ローマを意識しているのでしょうか。こういったことになにか意味が含まれているのでしょうか。
構成は、雑多で乱雑なななかに、何らかの整然としたものやまとまりも見られます。
1897 femme nue assise dans un fauteuil rouge
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
かなり小さな作品です。この写真で見ると印象的ですし、ヴァロットンの作品の中では有名なほうでしょう。しかし実際の作品は写真ほどは印象的には見えないような気がします。構図としてはシンプルさと複雑が交錯しているように思われます。色の使い方はやはり大胆とも思われます。ヴァロットンは、後の時代になりますが、マチスを思わせる一面もあります。
色と造形が絵になっています。
1897 femmes nues jouant aux dames
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
ヴァロットンは世紀の変わり目前ごろから裸婦像を描き始めます。
なにか意味ありげです。
1897―98 femmes nues aux chats
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
画面は平面化されています。またクロワソニズム(輪郭線を強調する)もみられます。
可愛い猫です。猫は平面的に描かれています。
1898年 化粧台の前のミシア
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
かなり小さな作品です。
薄いパステル調です。壁の色の青系統と女性の衣類やカーペットや家具などの赤系統が補色関係になっています。平面的で、色彩の配分がなされていますが、補色関係により、色彩を印象的にしようとしているのでしょうか。しかし、この写真よりは実物の方がくすんで見えます。
そう目覚ましい作品には見えませんでした。
1897年 自画像
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
32歳(1897年)のときの肖像画
より素顔に近く、またカジュアルな雰囲気になっています。
彼の画風がある程度自らの肖像画にも反映されています。やはり、明瞭な眼差しがこちらを見つめています。彼は自らを余り語らないのかも知れません。ポーカーフェースというか、あまり自分の意見を言わないというか、でも彼は観ています。鑑賞者をみるとともに、画家が自分自身をみるという二重の構造になっているようです。20歳の頃の肖像画は、鑑賞者を見るという度合いが強いために小生意気な側面がありますが、こちらは画家は描いている本人も見ているようです。
1897 Portrait of Thadee Nathanson,
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
上の自画像と同じ時期に描かれていながらも、かなり画風が異なります。対象が少し硬く固まったような不器用とも言えるような画風は、アンリ・ルソーを思い起こしさえします。
1899
portrait d'Alexandre Natanson
<2017年春三菱一号館美術館『オルセーのナビ派展』にて>
ナタンソン兄弟の一人です。リアリティある眼差しです。昔の王様のような目をしています。しかし彼はユダヤ人です。明瞭な画風です。
1899年 『夕食、ランプの光』 油彩、板に貼り付けた厚紙 パリ、オルセー美術館
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
暗いなかでテーブルが明るく照らし出されています。
何か奇妙な感じのする群像です。向かって左側の女性は少しマシな感じがします。これが妻ガブリエルのようです。画面中央知覚の女の子の目は、エジプト風にさえ見えて、また独特の目つきをしています。目は狂った熱を帯びているようでさえもあるくらいまでに強調されています。左側の男性は大口を開けてパンにかぶりついているどうも奇妙です。フランスの食卓の日常的な作法では、このようにパンにかぶりついたりはしないでしょう、少しずつ手で切って食べるのが作法です。このように変な食べ方をブルジョワ的な家庭の中でやっているのは、なおのことちぐはぐです。それを右側の女性は寛容に見つめています。この男性は通常には見えません。
手前のシルエットになっている男性がヴァロットン本人のようです。この家庭の後景からすれば異質な部外者あるいは闖入者のようで、何となく悪人的な犯罪者的なニュアンスさえもあります。
結婚したガブリエルは金持ちで、3人の連れ子がいました。ヴァロットンはなぜかこの生活にはなじめなかったようです。子供達とはそりが合わず、不穏な雰囲気も漂ってもいるようです。
前景の人物は空虚に見えます。
ガブリエルとはこの年(1899年)に結婚しました。
1899年 『ボール』 Le Ballon 油彩、板に貼り付けた厚紙 パリ、オルセー美術館
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
前景と後景で、2点の写真をもとに制作されたものです。
木の陰が迫ってきていて、どことなく不穏な感じがあります。浸食するような影です。
制止して固まったようになっています。時間が止まったかのようです。
空虚な雰囲気があります。
過去の一瞬であるような。スナップショットでとられた写真以上に制止しているようにも見えます。
この平面性に関してはナビ派に近いようです。
2つのボールがあります。赤い小さいボールの方がポイントです。
少女と後景の二人の女性は、人物像というより、一つの形象にもなっているます。これは不安感を引き起こす一因かとも思われます。
ただし、これは少女とは限らず、少年かもしれませんが、これも可能性は低いかも。
本当に深読みして、可能性としては非常に低いですが、Ballon(ボール)とVallottonやBaron(伯爵)とは何らかの関係があるのかもしれないとまで思ってしまったりします。Ballonが2つあるのはちょっと気がかりの1つです。
<2017年春三菱一号館美術館『オルセーのナビ派展』にて>
空虚、不安。時間が止まっています。
前傾と後傾の距離感の大きさからくる不安。上から木が覆いかぶさるようになっている不安。
髪を整える女性
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
穏やかな色調です。
色調と空虚と穏やかさなどの協調がヴァロットンらしさを思わせます。
<2017年春三菱一号館美術館『オルセーのナビ派展』にて>
淡い色彩。緻密に、平面的であるとともに立体的にも描かれています。マダムの日常生活の一光景です。中産階級の穏やかで明るく気怠く満ち足りた、そしてどことなく空虚な空間です。
1865-1925 Félix Vallotton The Laundress, Blue Room 1900 Oil on paper laid on canvas 19⅝”x31½” Dallas Museum of Art
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
1901 Portrait décoratif d'Émile Zola
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
エミール・ゾラの生没年は1840年4月2日 - 1902年9月29日ですからほぼ最晩年に描かれたものです。描いたのは実物を見てで昇華、それとも写真でしょうか。
なぜかクロワソニズムの特徴を前面にだして描かれています。それによってゾラのどんな特徴を表現したかったのでしょうか。表情といい、クロワソニズムといい、何となく重たい感じがします。
ポーカー 1902,オルセー美術館所蔵
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
1902 Madame Alexandre Bernheim
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
1902-1903 5人の画家 LES CINQ PEINTRES
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
メタモルフォーズされています。人物たちがあたかも蝋人形のように止まっています。静止しているロボットのように固まっているようです。若いときと比べると、相当に異なる変異体が作られたようです。北方絵画の集団肖像画の伝統も引き継いでいると思われます。また、手が、いろいろにバラバラに現れてくるところも、北方絵画の特徴の範疇であろうと思われます。それとともにフェリックス・ヴァロトンの画風が作られていると思われます。
彼は、90年代くらいから画風が変化しているのでしょうか。これは仮説ですが。
奇異な印象である。ある種の「発病」、そして時代の病のようにみえなくもありません。
ナビ派の画家たちの肖像に自らの肖像を書き入れています。
1903 intérieur, femme en bleu fouillant dans une armoire
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
まるで幽霊のように立っていて、戸棚の中を見ています。何か捜し物をしているのかも知れません、しかしただ呆然として戸棚の前で立っているようにも見えます。外の世界を見ずに、戸棚の世界を見るというのは、一種の精神病的な状態がこういうものかも知れないともおもうのですが、いかがでしょうか。
1903年 フェリックス・ヴァロットン 《赤い服を着た後姿の女性のいる室内》 油彩 カンヴァス チューリッヒ美術館
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
幾重にも入り口があるところはまるで夢の中のようです。シュールな雰囲気です。そこかしこに散らばった衣類は情事の痕跡なのでしょうか。
この女性は妻ガブリエルともされているようです。
あまり生気が感じられません。
なぜ何重にもなっているのでしょうか。合わせ鏡での、鏡の中の世界のような側面もあります。
参考:出展なし
自画像1905
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
1907年 《トルコ風呂》 油彩 カンヴァス ジュネーヴ美術・歴史博物館
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
ヴァロットンは新古典主義のアングルのトルコ風呂に観劇して、涙さえ流したとのことです。彼はアングルに傾倒したらしいです。
この絵画は、集団裸婦像です。6人です。アングルのトルコ風呂の群像よりは整理されています。
トルコつまりオリエントを意識しているのでしょう。はたしてこれはハーレムなのか否か、はっきりはしません。和風であり、日本の浮世絵のようでもあります。なぜ金髪の女性はこの背中を洗う女性を見ているのでしょうか。このなかの女性のうち処女は一人もいないようにおもわれるのですが、せなかを洗う女性は何か特別の存在のようです。金髪の女性は何故か一心にこの女性を見つめており、腕の中には犬を抱えています。
彼女たちがハーレムの女たちだとすれば、彼女たちは、なにか抽象的な「男なるもの」が所有する女たちのようです。具体的な男というよりは抽象的な「男なるもの」です。
背中を洗う女性は、まだ処女なのか、あるいは逆に男の相手をした後なのでしょうか。
Le sommeil 1908
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
タイトルは「眠り」ですが、この眠りの質はどうなのでしょうか。決して穏やかな眠りではなく、何か息苦しそうです。すこし病的な身体像です。肌が緑色がかっています。
1908, baigneuse de face, fond gris 正面から見た浴女、灰色の背景
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
健康的な身体像です。そして均整が取れた古典主義的な絵画を意識して描かれていると思われます。それに加えまして、肉感的です。
1908 憎悪 La Haine HATE
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
女の風貌は妻ガブリエルに似ているとのことです。
反復され繰り返されるどうしようもない不一致。
ヴァロットンは夫婦間の問題に悩まされ続けたとのことです。もっともどんな問題だったのでしょうか。ヴァロットン自身ではなくて、近所に喧嘩ばかりしている夫婦でも済んでいたのかも知れません。
ただ、この裸体の男女は、人類の最初の夫婦であるアダムとイブとも重ね合わせられているのかも知れません。楽園を追放された後、裸を恥じるようになったのですから、楽園追放以降の裸という点は合致しません。しかし、楽園において追放の経緯には、このような激しい喧嘩があったのかもしれません。そして楽園を追放されれば夫婦げんかも非常に激しいものとなったかもしれません。こうして溝は埋まらないかのようです。
プリミティブであるとともに古典古代的でさえあります。
参考 出展なし
1908 自画像
↑画像
1908 "L'Automne"
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
1909年『赤い絨毯に横たわる裸婦』
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
この色調がよくて、そしてこれはヴァロットン風の一面のように思われます。
1909-1913 FEMME AU PERROQUET
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
単純化に独特の雰囲気があります。印象的な目つきと肌の状態。黒い背景。そして白いシーツ。それによって画面が二分割されています。二分割の間に裸婦が横たわっています。緑のオウムは何を表すのでしょうか。オウムは何の象徴なのでしょうか。このオウムは生命感と言うよりは固まっていて、機械仕掛けのような人間の欲望を表しているようにも思われます。
オウムは雌か雄かといえば、雄のように見えます。
気のせいか、この女性の目も鳥類の目のようにも見えます。鳥への同一化もあるといえば言い過ぎでしょうか。
1910年 竜を退治するペルセウス
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
全裸のアンドロメダとペルセウスそして怪物を描くという古典的なテーマです。通常アンドロメダは裸体ですが、ペルセウスは甲冑で全身を覆っていると思うのですが、ここではペルセウスは全裸です。
ペルセウスはとても攻撃的です。彼の冷徹な目は、死の瞬間を見ています。死を観ています。
怪物の目とペルセウスの目は、かなり同じような目をしています。
任侠の徒のようにも見えます。
これはSalon d'autmunで批判されたということですが、なぜ批判されたのでしょうか。
1911 derniers rayons
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
どことなく印象的な作品です。
夕暮れ時です。幹の上1/3は赤茶色で、幹の下2/3はサチュルスの足のようにも見えます。
やはり人間の跡がない人間の存在の影のない自然のように見えます。
参考 出展なし。
1913 « La Blanche et la Noire » de Félix Vallotton, 1913, huile sur toile, 114 x 147 cm, Winterthour, Fondation Hahnloser/Jäggli, Villa Flora
1913年‘白い砂浜、ヴァスイ’
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
参考 出展なし
1914 自画像
1916 Quatre torses
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
1916 l'Homme poignardé
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
下は参考です。 展示なし 『墓の中の死せるキリスト』 /ハンス・ホルバインの有名な作品の一つです。
1921MIMOSA EN FLEUR A CAGNES
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
カーニュはニースとカンヌの間あたりにある町です。
ミモザは南仏の名物でもあり、ミモザ祭りをやっている村もあります。ミモザの花を描くタッチとそれ以外のもののタッチが異なり、色彩と形象のメタモルフォーズによって印象的な絵画になっています。人物や犬のシルエット、影のあたり方、色彩の強さ、これらが熟練の域まで達しているようです。何と言ってもやはりニースなどにゆかりの深いマチスの影響もないのでしょうか。
1921年 カーニュの俯瞰的眺望 VUE CAVALIERE DE LA CAGNE ローザンヌ州立美術館
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
これは、とくに具象を色彩とトーンと形象のコンビネーションのバランスを考えて絵画化しているようです。特に色彩とトーンの配分がテーマでしょうか。ポンタヴェン派のように具象から抽象へのプロセスと考えるなかに、このようなヴァロトンの絵画も加えるかどうか、微妙なところもありますが。
1922年 『貞節なシュザンヌ』 油彩、カンヴァス ローザンヌ州立美術館
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
「貞淑」とか「シュザンヌ」という旧約聖書の物語とか、かなり異なっていて、ここで描かれている女性は決して貞節でもシュザンヌのようでもなくて、娼婦のようです。なぜこのようなタイトルを付けたのでしょうか。おそらくイロニー(皮肉)なのでしょうが、何の皮肉なのかはよくわかりません。
女はそんなに貞節なものでもないということを言わんとしているのでしょうか。スッキリしません。
ある意見によれば、このピンクのソファーはバスタブのようであるとも言われているとのことです。
1923‘ロワール川岸の砂原’DES SABLES AU BORD DE LA LOIRE(1923年 チューリッヒ美)
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
単純化された形象と、具象のバランスがよく取られていて、成熟している言えるかも知れません。どことなく、空疎なところもあるような気がします。一人釣り人がいます。明るい部分と暗い部分のメリハリがきいています。何か絵画に意味が込められているのでしょうか、何も意味が込められていない、純粋な風景画で、また空疎さが印象的でもあります。すこしエドワード・ホッパーの風景画の空虚さを想起させられます。
シュールな雰囲気があります。
1924 le retour de la mer
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
何か印象的です。目がすこし独特な感じもします。
「海から戻って」というようなタイトルですが、なぜ海なのでしょうか。青い目、青い布地だからでしょう。海に棲む妖怪、あるいは死をもたらすセイレーンのような側面があるようです。どこかしら底しれぬ闇をたたえている女です。もともとは人間だったのでしょうが、海でこういった闇を得て、戻ってきたのでしょうか。
画像
<2014年フェリックス・ヴァロットン展 三菱一号館美術館にて>
1925 le roumaine en robe rouge
次の作品は今回出展なし。参考。
Les Andelys, le soir, 1924
フェリックス・ヴァロットン 《お金(アンティミテⅤ)》 1898年 木版 紙 三菱一号館美術館
フェリックス・ヴァロットン 《フルート(楽器Ⅱ)》 1896年 木版 紙 三菱一号館美術
フェリックス・ヴァロットン 《マッターホルン》 1892年 木版 紙 三菱一号館美術館
フェリックス・ヴァロットン 《他人の健康(アンティミテⅨ)》 1898年 木版 紙 三菱一号館美術館
フェリックス・ヴァロットン 《勝利(アンティミテⅡ)》 1898年 木版 紙 三菱一号館美術館
フェリックス・ヴァロットン 《嘘(アンティミテⅠ)》 1897年 木版 紙 三菱一号館美術館